主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、創世記の19章です。よろしくどうぞ。
創世記 19章26節
ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
罪深い街、ソドムを滅ぼすとき、御使いはロトとその家族に言いました。「振り返らずに逃げなさい。止まっても戻ってもいけないよ」と言いました。ロトは言われた通り、家族を連れて一目散に逃げましたが、彼の妻はつい後ろを振り向いてしまったため塩の柱になってしまいました。
災害や事故に遭ってしまったとき、絶対にしてはいけないことは、危険な場所に戻ることです。せっかく安全な場所まで避難したのに、戻ってしまったために被害にあってしまったということが、しばしば起こります。それをテレビのニュースでみるとき、「どうして戻ったの?」なんて思ってしまうものですが、家であれ会社であれ学校であれ、災害が起こる前にいた場所にはその人にとって大切なものがあるものです。大切なものを振り返らずに一目散に逃げるということは人間にはとても難しいことです。
ソドムはひどい街だったとはいえ、そこに暮らしていたロトの妻には、きっと大切なものがたくさんあったことでしょう。それをある日突然、「すべてを捨てて逃げなさい」と言われても、なかなか心の整理がつくものではなかったのでしょう。しかしその未練が、残酷な結末を導いてしまいました。
では聖書は、このエピソードから僕たちに災害の時の避難法を教えているのでしょうか。たしかにそれに役立つこともあるかもしれませんが、そうではありません。罪から離れようと決意したとき、それでこれまでの生活を改めようとするとき、つまり悔い改めようとするとき、決して以前の生活や行動に未練を残してはいけないということ、そのことをこのエピソードは教えています。その生活に戻ることはもちろん、それを思い起こすことさえしてはいけない、それをしてしまうことがその悔い改めを台無しにするということです。
夜中にカップラーメンを食べてしまうのをやめようと思うとき、「最後に一度だけ、今夜だけ」と食べてしまったら、きっと翌日からも食べてしまうでしょうし、そのおいしさを思い出すだけでも「食べたいなー!」と思ってしまい、実際に食べてしまう可能性は爆発的に上がります。夜中のカップラーメンから離れるコツは、カップラーメンのことを考えないこと、思い出しさえしないことです。たぶんこのケースでは一目散にベッドに向かって寝てしまうことです。
でもそれが人間には難しい。何かから離れようとすれば、どうしてもそれに対する未練が残りますし、それが長年親しんだものであればあるほど、それを思い出し、そしてそれに戻ってしまうものです。ですから僕たちは、次の目的地や安全地帯を見定めて、それだけを見て、そこに一目散に走る必要があります。ロトを逃した御使いも「あそこの街まで逃げなさい」と、明確に見える目的地を教えています。
罪から離れるには、ただ漠然と「そこから離れる」のではなく、他の明確なもので以前のものを塗り替えるような作業が必要です。たとえば人の悪口を言わないようにするには「人の良い点を見つけること」、夜中のカップラーメンをやめるためには「寝る時間になったら速やかにベッドに向かうこと」です。そして離れると決めたなら、その快楽を思い出すことさえ、いけません。振り返ったら逆戻り。それが罪から離れる合言葉です。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
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