わからないからこそ世界は怖くて魅力的【聖書からよもやま話631】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩編の67篇です。よろしくどうぞ。

詩編 67篇7節

神が私たちを祝福してくださり
地の果てのすべての者が神を恐れますように。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

この詩は7節しかない短いものですが、その中で2回も「諸国の民があなたをほめたたえますように」というフレーズが出てきます。しかし、その最後は「神を恐れますように」というフレーズで締められています。「ほめたたえる」と「恐れる」は少なくともここでは同義なのであると言うことができるでしょう。

「ほめたたえる」と「恐れる」は、一見正反対の意味のようにも見えますが、考えてみれば確かに恐れなしに真の賞賛というのはないのかもしれません。「畏敬の念」という言葉にはそれが如実に現れています。「畏れ、敬う」ということですから。お父さんにせよ、お母さんにせよ、学校の先生にせよ、本当に尊敬されるにはどこか怖さや威厳というものが必要です。

では「恐れ」とはなんでしょう。これには様々な定義があるかと思いますが、僕はその要素の一つに「知り得ない」ということがあるかと思います。その対象の全貌が見えない、予想がつかない、ということです。全貌が見えて、次の動きの予想が完全につくのであれば、その対象は「恐るるに足らず」ということになります。孫子にも「敵を知り己を知れば百戦危うからず」とあるように、対象を知ることでその対象は脅威でなくなるんです。

さて、では「神を褒め称える」という文脈での「神を恐れる」にこれを当てはめるとどうなるでしょう。それは「その全貌を知り得ない」ということを認めることです。それが神に対する恐れです。

しかし現代の人間はどうでしょう。まるで「科学ですべてのことがわかるのだ。人類はすべてを知ることができるのだ」とでも言うかのように、「恐れ」を忘れてはいないでしょうか。しかしそれは幻想です。科学の道をひたすら歩んだ人こそ、「まだまだ解明できないことがある」ということをよく知っています。時には「知り得ない」ということまで知っています。そしてそれは間違いないことです。「科学で全てを解明することができない」ということが、昨今では科学自身によって証明されつつあります。ですから人類は世界から「恐れ」を完全に排除することはできません。それをまるで完全に排除できるかのように思ってしまうのは悪魔の誘惑と言えるでしょう。

しかしそれは決して絶望ではありません。それは即ち「神を、世界を、恐れ褒め称える」余地はいつまでも絶対に失われない、ということですから。わからないことを見つけたら、それは世界のチャーミングな要素を一つ見つけたということです。すべてを知ってしまった世界なんて何の魅力もない、灰色の無機質な場所でしょう。わからないことがある、ということ自体が神様から僕たちに贈られたプレゼント、即ち福音なんです。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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