「結論ありき」の質問と「結論ありき」の聖書【聖書からよもやま話636】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、ヨハネの福音書の9章です。よろしくどうぞ。

ヨハネの福音書 9章27節

彼は答えた。「すでに話しましたが、あなたがたは聞いてくれませんでした。なぜもう一度聞こうとするのですか。あなたがたも、あの方の弟子になりたいのですか。」
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

イエスに目を癒してもらった人が、イエスを憎むパリサイ人たちから「イエスはお前の目をどうやって治したんだ!?」としつこく詰問された時に、その人が答えた言葉です。

・・・いますよね、自分の想定している都合のいい回答が出てくるまで何度も同じ質問をする人。都合の悪い回答をされると「そんなのは答えになっていない!」「論点をずらすな!」「誠実に答える気が見られない!」と怒り続ける人。そんな人に会ったことがなくてピンと来ないという幸運な方はNHKの国会中継を見れば、いくらでもそんな人を観察することができます。いえ、本当はちょうど今日から始まる臨時国会では、そんな観察ができなくなることを望んでいるのですが。でもしかし残念ながらおそらくこの国会でもたっぷりとそんな観察ができてしまうことでしょう。

パリサイ人たちは「イエスは悪いやつだ」という結論が先にあって、その結論を裏付けるために必要な回答だけを、この人に求めていました。それ以外の「あの人は悪い人じゃないですよ」という回答は不要でしたから、受け付けなかったのでした。なんと不誠実な人たちでしょう。

・・・とはいえ、このパリサイ人たちの不誠実さは、僕たちを映す鏡でもあります。僕たちは誰しも、これと同じことをしています。人に対してそんな質問をしなかったとしても、「自問自答」という形ではしょっちゅうこれをしています。僕たちが自問自答を繰り返して悶々とした眠れない夜を過ごすとき、大抵の場合は自分の望む答えが自分から出てこない、という状況になっています。そして自分の望む答えが出るまで、何度も何度も自分に同じ質問を投げかけるので、それでいつまでも自問自答を繰り返してしまうわけです。そして、そんなことをしているなら、僕たちは自分自身に対して、このパリサイ人と同じように不誠実なんです。それは自分で自分を拷問にかけているようなものです。

そして、多くのクリスチャンも、別の意味でこのパリサイ人たちと同じことをしています。それはあらゆる事象を「神が存在し、神が自分を愛してくださっている」という結論をもって観察し、解釈してしまうということです。先に結論があって、それに沿った回答以外を拒否しがちです。しかし、本当に神様を信じているのなら、あらゆる事象を「神様が存在しないかもしれない。自分を愛していないかもしれない」という前提で観察しても恐れることはないはずです。なぜなら真理というものは、どれほど疑っても揺るがないものだからです。たとえいくら否定しようとしても、自ずと肯定に至らざるを得ないものだからです。疑いによって揺らぐ真理は真理ではありません。ですから、クリスチャンであるなら恐れずに疑うべきです。少なくとも「聖書に疑問を持つことは不信仰だ」なんていう態度を聖書に対して持つべきではありません。それは聖書に対して、このパリサイ人と同じ不誠実さで接しているということです。

そしてまた、聖書を自分の望む答えを求めて読んでもいけません。自分に都合のいい箇所を探し出して、それをなんとか見つけて、それで「ほら!やっぱり私の考えは神様の御心にかなっているのだ!」なんてことを言ってはいけません。虚心坦懐に聖書を読めば、自分に都合のいいことばかりが書いてあるわけではないはずです。むしろ都合の悪いことの方が多いはずです。自分の罪や過ちに気付かされることの方が多いはずです。結論ありきで聖書を読むこと、これは厳に慎まなくてはいけません。それは神に対して不誠実であるということであって、このパリサイ人たちとまったく同じ姿勢です。

とはいえついついやってしまう。人はどうしても自分の考えに同意や裏付けが欲しいものです。それが神様のそれならなおさらです。でもだからこそ、気をつけなければいけません。僕も気をつけます。人一倍、やってしまうので。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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