主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の2篇です。よろしくどうぞ。
詩篇 2篇10節
それゆえ今 王たちよ 悟れ。
地をさばく者達よ 慎め。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
権力をもって、慎み深くいることはどうしてこんなにも難しいのでしょう。
慎み深くなんていたら、権力を持つことができないからなんでしょうか。
日々ニュースに流れてくる権力者の皆さん、「王」の皆さんを見ていると、そんなことを思わずにはいられなくなってきます。
世界の「王」の皆さんが、みんな悟った人格者であったなら、慎み深い人であったなら。きっと世界は少なくとも今よりは平和なんじゃないか、そんなことを思います。「王」たちはみんな自分の功績を自慢し、誇り、正しさを主張し、その正しさのために人に痛みを強いさえします。
世が悪いのはそんな悟ってない「王」たちのせいだ!
僕たちが苦しむのはそんな慎みのない「王」たちのせいだ!
・・・と、そんなことを叫びたくなってしまいます。が、しかしよく考えてみると、僕たち日本人は国民主権の国に生きているわけです。日本に限らず少なくとも世界のいわゆる「西側諸国」はみんな国民主権の国に生きています。国民主権とはどういうことか、それは即ち一人一人の国民が王である、ということです。世の「王」たちはその代表に過ぎません。だって彼らは、色々と制度上の問題はありつつも、僕たちの選挙によって選ばれているのですから。
僕の所属する行政書士会の代表は行政書士ですし、弁護士会の代表も弁護士です。医師会の代表も医師でしょう。代表というのはそれを選ぶ多くの人の属性を同じように持っているものです。
そうであれば、「王」たちが悟らず、慎みを持たないのは、僕たち一人一人が悟らず、慎みを持っていない証拠なのかもしれません。僕たちもまたその「王」たちのように、自分の功績を誇り、自慢し、自分の正しさを誇り、その正しさのために人を傷つけたりします。戦争は起こさなくても喧嘩はします。日々の諍いだってあります。
「王」たちに冷静な対話を求めるなら、慎み深い態度を求めるなら、まず僕たち一人一人がお互いに冷静な対話をし、慎み深い態度を示し合うことが必要なのかと思います。平和は「王」たちが作るものではなく、一人一人の僕たちが作るものです。「平和をつくる人は幸いです」とイエス・キリストは言いました。そのために戦争をする「王」たちに抗議することも時には必要かもしれませんが、それよりも大切なことは一人一人が自分に与えられた範囲の平和を保つことだと思います。
もちろん「こんな人に私は投票していない!だから私の姿とは関係ない!」と言いたくなる方がいらっしゃるのもわかります。僕も大なり小なりそんなことを思います。しかしそれでもなお、戦争をし、「汚いカネ」を貪り、えこひいきをし、自分の立場にしがみつく「王」たちを見ていると、僕もまた同じことをしている、できないまでもしたいと願っていることに気づかされます。そんな「王」を罵り、引っ叩きたい気持ちを抑えつつ、まずはそんな「自分」を制さなければいけないな、と思うんです。「王」たちを整えるには、まず自分が整わなければ、と思うんです。
「王」とはどこかのエラい人のことではありません。僕たち一人一人のことなんです。「王」は鏡、鏡は僕たちの姿を保つためにあります。
それではまた次回。
主にありて。
MAROでした。
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