「変わる」よりも「変わらない」を愛すると幸せになりやすい【聖書からよもやま話402】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、詩篇の148篇です。よろしくどうぞ。

 

詩篇 148篇6節

主は それらを世々限りなく立てられた。
主は 去りゆくことのない定めを置かれた。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

人のつくる「定め」は時代とともに必ず変わります。日本国憲法だって「絶対に永遠に変えないのだ」という人もいますが、いつか必ず変わります。法に限らず価値観だって、ルールだって、マナーだって、人の定めたものはいつか必ず変わります。

しかし、神様の定めたものは変わりません。一見それが「法」にみえるもの、たとえば十戒であっても、それは変わることはありません。「殺してはいけない」「盗んではいけない」「姦淫してはいけない」それらのルールはこれからも変わることはないでしょう。

時代とともに世の中は変わり続けますが、そこに生きる人間自体は変わることがありません。聖書の著された2000年前から現代に至るまで、「人のつくりだしたもの」は変わっても、「人自体」は変わっていません。赤ちゃんが産まれるときの産声、子どもが遊び回るときの声、それは2000年前から変わっていないことでしょう。人類の食べるものは変わっても、その食べ物からつくられる骨や筋肉の組成は変わりません。
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反対にいえば、神様のつくったものと人間のつくったものかは、それが変化するかどうかで判断することができるのかもしれません。あるいは変化し得るものかどうか。聖書の価値は「変わらないもの」がそこに記されている点にこそあります。だからこそ、聖書を書き換えることはゆるされないことなんです。一部の異端やカルトの方々は、聖書を書き換えてしまいます。それは「神のつくったもの」を「人のつくったもの」に置き換えてしまうことです。今、どうやら中国の習近平さんも国内向けの聖書を、自分に都合良く書き換えようとしているようです。「変わらないもの」を「変わるもの」にしてしまう罪。一見、短期的に見ればそれは「よいこと」に思えることもあるかもしれません。少なくとも「都合のよいこと」ではあるでしょう。しかし長い目でみれば人類にとってこれほどの損失はきっとないでしょう。

「ダイヤモンドは永遠の輝き」なんてコピーが昔ありましたけど、ダイヤモンドを買う人はそれが変わらずに輝き続けるからこそ、高いお金を出して買うんです。ダイヤモンドの輝きが消耗品のように時間とともに失われるなら、その価値はありません。人間というのは変わることを求めつつも、同時に変わらないものを愛する性質を持っています。

何が「変わるもの」で、何が「変わらないもの」なのか。それを見極めつつ、「変わらないもの」をもっと重視し、愛すること。それが現代社会に求められているように思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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