生き急いでいた20代。キリストに触れて死生観が変わった。レザーブランド「Before Dark」代表・笠井一輝さん 【たまものクラブ】

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――早速ですが、お仕事について教えてください。

宝塚市の清荒神(きよしこうじん)にある工房「Before Dark」で、革製品の製造、販売を行っています。

――革職人になろうと思われたきっかけは?

ワーキングホリデーでカナダに滞在中、音楽や絵画などさまざまな方法で表現する人たちに出会ったのをきっかけに、自分も手に職を付けたいと思うようになりました。

帰国したら、やりたかったことを片っ端からやってみようと初めにチャレンジしたのが陶芸でした。ただ、どうも自分には向いていなかったようで…次に挑戦したのが、靴職人です。
飛び込みで「無給でいいから、勉強させてほしい」とここだと思う工房の門を叩き続けては断られ、ようやくある靴の修理店で働かせてもらうことになりました。

見習い期間はお給料約5万円、朝6時に出勤して終電で帰るような生活でしたが、本当に楽しくて。ただ、いい意味で“放任主義”というのか、手取り足取りは教えてくれません。また、靴の修理以外にもオーダーメイドの革製品を作っていたので、見よう見まねで色々な技術を身につけていきました。
3年ほどそんな生活が続いて、少しずつ仕事を任されるようにもなり、この仕事を生業にしようと決めました。

清荒神にある笠井さんの工房

――飛び込みで修業先を探すなんて、行動力がありますね。

実は、僕の祖父が36歳、父が40歳、叔父が38歳で亡くなっているんです。
だから、子どもの頃から「自分も長く生きられて40歳までだろう」と思っていて。
ワーキングホリデーでカナダへ行ったのも、生まれ育った徳島以外の世界を見てみたかったのと同時に、40歳になるまでの時間を逆算したら、やりたいことはどんどんやっておかないと、という想いがありました。

――若い頃から「死」をとても身近に感じていたんですね。
ご家庭がクリスチャンホームだったのでしょうか?

いいえ、育ったのは仏教&神道を信じるごく一般的な日本の家庭です。
僕が聖書を初めて読んだのはカナダで滞在していたシェアハウスなんです。
ある日、英語に疲れてしまって、ルームシェアしていた日本人の友人に「何か日本語の本はない?」と聞いたら、渡されたのが聖書でした。

…ちなみにこの友人は、現在は僕の妻です(笑)。

――すごい! ドラマや映画のような展開(笑)。
奥さまは伝道しようとして聖書を渡されたのでしょうか?

それが、後で聞いたら、本当に聖書しか持っていなかったんだそうですよ。むしろ、僕の性格上、伝道をしても無理だと思っていたらしくて(笑)。

僕はもう、とにかく日本語の活字に飢えていたのと、もともと読書が好きだったこともあって、旧約聖書から読み始めました。だからといってクリスチャンになろうとは思っていませんでしたし、創世記を読んでいてもよくわからないから飛ばしたりもしていました。
「伝道者の書(コヘレトの言葉)」のあたりでようやく面白くなって、ハマった感覚がありました。

――「読み物」としての面白さにハマったんですね。

そうですね。聖書が面白かったことでキリスト教に興味を持つようになり、カナダの教会へ行ってみたのですが、英語で語られる聖書のメッセージがさっぱりわからなかったんです。
帰国してから改めて日本の教会へ足を運ぶようになり、それだけでは飽き足らず、自分でキリスト教関連の本も購入して読んだりも。
そうこうする中で少しずつ気持ちが変化していき、ある日、自分から「クリスチャンになりたいです」と申し出ました。

――何が確信に繋がったんでしょう?

先程もお話したように、僕は小学生の頃から「死」について人一倍考えてきました。
仏教や神道の道を歩む方に、死生観について質問をしたこともあったのですが、納得のいく答えを得られたことがなかった。
一方で、キリスト教は聖書を通して、人はなぜ死ぬことが決まったのか、死んだらどうなるのかをはっきりと伝えている。これによってすごくスッキリした感覚があって、自分もこの生き方を選ぼうと思ったのです。

――キリスト教を受け入れてから、気持ちの面で変化はありましたか?

それまでの僕は「死んだら終わり」だと思っていたから必死になっていたし、いつ死んでもいいように、やれることはなんでもやっておこうというスタンスでした。(つづく)

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