【日本YWCA】 「流されない」って、どうすりゃいいの 谷口真由美(法学者・大阪芸術大学客員准教授)

世の中の大きな波や誰かのささやき声に流されて、うかつに判断・選択をしないように、日本YWCA機関紙10月号のテーマは「流されない」。そもそも「流される」とは? 「流されない」ためには? 大阪のおばちゃん目線で社会に斬り込む「わきまえない女」谷口真由美さんが軽妙かつユーモラスに核心を語ります。

とても大切で とても難しいこと

「流されない」って、とても大切なことだというのと同時に、とても難しいことなのだなと思うのです。

なぜかといえば、誰かの意見や世の中のふわっとした空気に「流される」というのは、自分の意思とか気持ちとかを無かったことにしたり、押し殺したりすることだと考えるからです。また、その手前で、自分の意思や気持ちすら、持てないよう/持たないよう、考えないよう/考えられないようにされていることもありますね。同じように、自分の意思や気持ちを持つのは、面倒くさいことにつながるよということを、誰かから刷り込まれたりもしているかもしれません。東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長だった森喜朗氏から、女性が入る会議は長いので「わきまえない女」と名指しされた私がいうのもなんですが(笑)。

思い返してみれば、これまでの人生で「めんどくさいヤツ」「うるさいオンナ」「黙ってたらかわいいのに」と言われてきた経験がとても多い私は、こんなことも言われ続けてきました。「そんなことを言ったら大変なことになるよ」「言ったところで何も変わらない」「陰から応援してるよ」と。どんな大変なことが待ち受けているのか聞いても、誰もきちんと答えられないし、言ったら変わったこともあるし、陰から応援するって応援しているみたいだけど、表には出てきたくないし、仲間とは見られたくないってひきょうな言い回しだなと思ったこともしばしばです。

誰かに力を奪われていないだろうか

森喜朗氏から「わきまえない女」と名指しされた当時、私は日本ラグビーフットボール協会の理事であり、同協会内のラグビー新リーグ(現リーグワン)準備のために特別に設置された準備室長と、参入を希望するチームを審査するための審査委員長というポジションにありました。いろいろあって、現在はラグビー協会には何も関わっていないのですが、このときに私にラグビー協会の中枢にいる関係者たちは、「谷口さんは何も考えずに、みんな(ラグビー経験者の重鎮や、政治関係、スポーツビジネス関係)の言うことを聞くほうがうまくいく」とか、「頑張ったところで、どうせ何も変わらないですよ」、「上の人の言うことに逆らっても、何もいいことはないですよ」とアドバイスされました。

これって、日光東照宮にある「見ざる聞かざる言わざる」のおサルさんみたいになれってことですよね? そうしたほうがうまくいくというアドバイスは、誰の、何のためなのでしょうか? また、こういうアドバイスもどきが、どこかで頑張ろうとしても、周囲から「力を奪われる」状態に追いやられることも、同時に認識されたほうがいいと思うわけです。

流されないために、立ち止まるためには、いったん自分の中で「溜め(タメ)」を許容できる「胆力」みたいなもの、それに「考える時間と力」や「学ぶ時間と力」が必要なのですが、そもそも力を奪われた状態ではそれはできません。人から奪われるだけでなく、生きている環境などから奪われることもあるでしょう。仕事が忙しすぎて、日々の自分の生活に手いっぱいで社会の問題なんて、他人がどうなってようが知ったこっちゃない! という意見があることも承知しています。

小さな違和感を見逃さないで

そして、「流されない」という言葉を気にしていたら、先日、ふらっと入ったお蕎麦屋さんの女子トイレの窓枠に、こんな言葉が書かれた木の飾りが掲げられていました。

愛される妻であるために
夫より早く起き 料理上手できれい好き
働き者で機転を利かせ ハイハイ ニコニコ 優しい女
世間に遅れず流されず 自分をバカだと笑いつつ 上手に甘えて可愛い女
女を忘れず おしゃれもしましょ

一度目にトイレに入った時は、食事前でした。「頑固おやじの○○」とか、こういう格言(?)みたいなお土産とか買う人いるよねぇと思うのと同時に、強烈な違和感を覚えたもののお腹もすいていたので、変なものを見てしまったなぁとそのままトイレを後にしました。おいしいお蕎麦をいただいて、お店を出る前にどうしてもこの言葉が気になって、トイレに再び入りました。急ぎでもなく、お腹も満たされた後にもう一度読むと、「なんじゃこりゃ」となりました。とりあえず、携帯で写真を撮ってお店を後にしました。このあと、少し時間が経過して私の思考を振り返ると、以下のようなものです。

① うわー、おっさんにとって都合のいい女!
② それなのに、自ら望んで自発的にふるまっているように書かれている
③ こんなこと続けろって言われたら、しんどすぎて別れるな
④ 前近代的というか、差別的な「妻」像であると同時に、差別的な「夫」像でもある
⑤ DVを受けていても、これを読んだら私が悪いのかもって自分を責めそう
⑥ 「流されず」ってこんなときに使う言葉なの?
⑦ 女性客がこれをみたら、店主はこういう思想なのね、残念ねって思われるのに、いいこと書いてるでしょ、男性には見せないように女子トイレに飾っているところがステキでしょって思っているように見える

普段、何にでもツッコミをそれなりに入れられる私でも、お腹がすいていて、大切な人を待たせている状態では、違和感は覚えても言語化しようというところまで至らなかったのです。それが、おいしいものをお腹いっぱい食べた後で、時間もあるという状態になったところで、ツッコミを入れられる力がゆっくりと湧いてきたということなのです。もし、お蕎麦を食べている時も急いでいて、あわててお店を後にしたらこの文章を思い出すこともなかったかもしれないな、とも思うわけです。それから、普段から、日常のささいな違和感を見逃さないように、トレーニングをしているような状態を続けているからかもしれません。

日常へのツッコミが民主主義の進歩に

こんな個人的な日常へのツッコミが、民主主義の進歩につながるのだと信じています。なぜなら、「個人的なことは政治的なこと」だからです。このお蕎麦屋さんの「愛される妻であるために」が、商品化され販売され購入し、良いことだと飾る人がいて、こういう「妻」像を押し付けられ苦しんでいる人がいると想像し考え発信することは、社会問題に気が付き、解決の手立てを考える第一歩になると思うからです。だからこそ、小さな違和感を大切に、それを文章が苦手なら、絵を描くことや川柳を詠むなど、ほかの手段でもいいので表現をしてみると良いのではと考えます。

そして、「社会の問題は自分の問題」でもあるのではないでしょうか。私たちが暮らすこの社会の問題は、誰かの問題ではなく私の問題でもあるのだと考えられる力もまた必要です。「力を奪われた状態にある人」のことを、自分のこととして捉えるためには、社会課題を遠くの問題として捉えないことが大切ですね。それは、日本という国の政治のあり方もまた、自分のこととして捉えることです。日本国憲法の「日本国民」や「われわれ」という主語を、「私」など一人称を入れて読んでみると少し近くなりますよ。例えば、こんなふうに。主語が自分になれば、述語や動詞はすべて自分にかかってきますものね。どうぞお試しあれ。

わたし(日本国民)は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、わたし(われら)とわたしたち(われら)の子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権がわたし(国民)に存することを宣言し、この憲法を確定する。(日本国憲法前文より)

谷口真由美
 たにぐち・まゆみ 1975年、大阪府生まれ。大阪大学大学院国際公共政策研究科博士課程修了。大阪大学非常勤講師(日本国憲法)、大阪国際大学グローバル経済学部准教授を歴任。2020年から大阪芸術大学客員准教授。「サンデーモーニング」などテレビ・ラジオ番組出演のほか、講演や寄稿など多方面で活躍。社会問題に大阪のおばちゃん目線で鋭くつっこみ、問題提起し、分かりやすく解説する。著書に『日本国憲法 大阪おばちゃん語訳」(文藝春秋)、『お笑い自民党改憲案』(金曜日)など。

出典:日本YWCA機関紙2022年10月号


YWCAは、キリスト教を基盤に、世界中の女性が言語や文化の壁を越えて力を合わせ、女性の社会参画を進め、人権や健康や環境が守られる平和な世界を実現する国際NGOです。

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