【音楽企画・末富央記さん】ゴスペルに居場所を感じて信仰の道に。歌うことの喜びは、ついにユニット結成へ。 【たまものクラブ】

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3歳の時に「トルコ行進曲」を耳コピでピアノ演奏し、高校時代に作曲家を目指された、滋賀県在住の末富央記さん。19歳でゴスペルに出会い、他とは違う温かさを感じ信仰へと導かれる。そこから、クリスチャンとしての音楽企画の経緯を改めてお伺いした。

「温かく安心できるものの正体」

−−ゴスペルチームの指導もやっておられるのですね。その経緯を教えていただけますか?

「私は若い頃から、BGM制作や音楽にまつわる仕事をしていました。おもにゲームのBGMを作曲・納品し、東京では作曲家 宮川彬良さんの事務所で、作曲のアシスタント(譜面作成)などをしていました。
とにかく音楽に関わっていることが当たり前であり、ライフワークなのですが、ゴスペルは何か特有のものであったように思います。

ゴスペルとの出会いは19歳の時で、テレビで見かけたゴスペルのステージに憧れて始めたのがきっかけです。当時は滋賀や京都ではなかなか見つからず、大阪で何件かあたってみたのち、大阪の住之江区で活動していた『WINGS Gospel Choir』という、足立 学(あだちまなぶ)さんがディレクターをやっておられるゴスペルチームにお世話になり始めました。

しばらく遠い大阪湾付近まで通っていたのですが、その時私が関わっていた滋賀のNPO団体でもゴスペルをやりたいという声が上がりました。そこで、クリスチャンである足立ディレクターに相談したところ、私は自分が、ゴスペルの背景をよくわかっていなかったのだという事実を思い知りました。
というのも、ゴスペルの音楽性に惹かれていたので、その内容が聖書の福音そのものだということまで深く考えず、ハーモニーの部分だけしか捉えていなかったのです。

その後、地元滋賀の教会も紹介してもらい、ゴスペルによく出てくる
『ハレルヤ』とか『メシア』ってどういう意味か?
と、いきなり聞いてくる新来会者に、教会の人は大変驚かれた様子でした(笑)」

−−では信仰とゴスペルを教えることとが、「共育ち」したといったところでしょうか?

「そんな感じです。
当時、通い始めた教会の牧師先生に教わりました。
『末富君、人はね。どんな状態になっても決して愛を忘れることはないんだよ。
いつ、どんな時でも愛を感じることは失われることはないんだ。』と。

その愛はきっと条件的なものではなく、キリストが下さった無条件の愛なんだと思います。
この愛が変わることも揺らぐこともないということを、ゴスペルはわかりやすい、聖書そのものの言葉で歌っていると解っていきました。」

2001年頃JOYFUL HEARTS GOSPEL CHOIR(クリスマスライブ)at草津市

「ですから、今でも好きなみことばは、

 こういうわけで、いつまでものこるものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。第一コリント13章13節

これがきっかけで、イエス様と十字架の贖いを信じてクリスチャンとなり、ゴスペル指導の方にも、心が込められていったという感じがしています。」

2008年 同ゴスペルCHOIR。一旦活動を停止した最後のライブでは、メンバーが泣いて惜しんだ。

「コロナ禍であえて立ち上げたボーカルユニット」

−−現在も、作曲・ゴスペル指導・演奏活動など、幅広く音楽企画をされている末富さんが、いよいよご自身でユニットを結成して、CDをお出しになりました。私も聞かせていただきましたが、非常に穏やかな、温もりと寄り添う優しさに満ちたアルバムになっていると思います。

「ありがとうございます。
ピアノ&ボーカルユニット『コルンバ』と言います。
コルンバとは、ラテン語の『鳩』で、聖書でも希望や平和の象徴としても登場します。
コロナ禍と言われだした(2020年)頃から積極的に外に出ていき、外に出ること、歌うこと、手を重ねて祈ること、そういったことが悪いこととされる時期に、寂しい・悲しい・希望って何処にあるんだろうか? という思いを払拭すべく活動開始いたしました。

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