10月31日「わたしの時はまだ来ていません」

婦人よ、 わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。 (ヨハネによる福音書2章4節)

カナで結婚式があり、主イエスと弟子たちが出席した。母マリアは台所で仕事をしていた。ところが、 結婚式に欠かせないぶどう酒が底をついてしまい、困り果てた母マリアは主イエスに訴えた。今日の聖句は、マリアに対する主イエスの答えである。突き放したような言葉である。しかし、マリアは主イエスの言葉を聞いて、主を通して働かれる神は人の願い通りに働く方ではなく、ご自分の意志で自由に働かれる方であると信じた 。 そこで、彼女は主イエスのご意志を待つことにして、召し使いたちに「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください 」 (5節)と言った 。

主イエスが「水がめに水をいっぱい入れなさい」 (7節)と言ったので、召し使いたちは主に命じられた通り、井戸まで何度も往復して水を汲み、六個のかめに水を満たした。すると汲んだ水がぶどう酒に変わった。 主イエスの言葉を聞いて、従った時、思いがけず良い結果が与えられ、困窮から救われた。しかも、初めのぶどう酒よりも良かった 。

私たちも困窮の時に神に助けを求めて祈るが、すぐに答えがあるとは限らない。しかし、神は祈りを聞き、私たちを正しい信仰に導かれる。すなわち、神を私たちの願いを叶(かな)えて当然の召し使いのように思う手前勝手な信仰から、神を信頼し、神から命じられたことをなし、神の業を待つ信仰に導かれる。 この信仰によって、水がぶどう酒に変わる神の恵みの奇跡を経験する。奇跡は結果であって、信仰生活の目的は、困窮の時にも神の言葉に聞き、神を信頼し、み業を待ち望むことである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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