偶像の神は邪悪なのではなく「存在しない」【聖書からよもやま話498】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、コリント人への手紙第一の8章です。よろしくどうぞ。

 

コリント人への手紙第一 8章4節

「世の偶像の神は実際には存在せず、唯一の神以外には神は存在しない」ことを私たちは知っています。

(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

クリスチャンは基本的に神社仏閣にお参りしませんし、主なる神以外の何かを拝むこともありません。しかしそれは、中にはクリスチャンであっても誤解している方がいるかもしれないですが、他の神仏が「敵」だとか「邪悪な存在」だから拝まないというわけではありません。そうではなくて、他の神仏が「存在しない」から拝まないんです。これは近いようでいて、実はまったく違う考え方です。「敵」や「邪悪な存在」として偶像の神々を扱うのは、その存在を認めている証拠です。

ですからクリスチャンは他の神仏を憎んだり攻撃したりする必要はなく、存在しないものとして扱うことが良い、ということになります。たとえ他の宗教の偶像を破壊したとしても、その神々や神仏には何の影響もありません。なぜならそもそもそこには「偶像」という物理的なもの以外には何も存在していないからです。

とはいえ、偶像の恐ろしいのは、本当は何も存在していないのに、それでも大いに人の心を惑わすというところです。ですからクリスチャンであるのに、家にお守りだとかタロットだとか、そういった偶像があって、それに心を奪われるなら、「自分の心を守る」という意味でそれを破棄するのは一つの有効な対策かもしれません。悪魔や悪霊といった方々は、本来は何も存在しないものを、あたかも存在するかのように錯覚させて、人を惑わすのが得意です。偶像を身の回りに置くことは彼らに誘惑のチャンスを与えているようなものです。自国の領土のすぐ近くに、敵国の攻撃拠点を置いているようなものです。

このような意味で、偶像を排除するのは大切なことですが、忘れてはいけないことは、偶像それ自体は悪でもなんでもなく、それは「存在しない」ということです。「存在しない」からこそ、悪魔がそこに入り込み、それを大いに利用するんです。そこを間違うと対策を間違えることになります。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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