主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
すみません、少々体調を崩してお休みしておりました。
聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は旧約聖書、エレミヤ書の10章です。よろしくどうぞ。
エレミヤ書 40章10節
この私は、見よ、ミツパに住んで、私たちのところに来るカルデア人の前に立とう。あなたがたは、ぶどう酒、夏の果物、油を収穫して器に納め、自分たちが手に入れた町々に住むがよい。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
イスラエルの国はバビロニアに滅ぼされてしまいましたが、バビロン王はイスラエル人すべてをバビロンに捕囚したわけではなく、ユダの地に残ったイスラエル人もたくさんいました。そしてそんなイスラエル人たちを統括するために、その地の総督にゲダルヤという人物を任命しました。
このゲダルヤさんはイスラエル人を弾圧・・・するかと思いきや、むしろ手厚く保護しました。今日引用した聖句はこのゲダルヤさんがイスラエル人たちに向けて言った言葉です。ここにある「カルデア人」というのはバビロニア人のことですから、これは「本国から何か不利なことを言われても、私が君たちを守るからね」という宣言とも言えます。
敗戦とバビロン捕囚というこれ以上ない難局にあって、このゲダルヤさんの存在はイスラエルの民にとって救いであったことでしょう。
僕たちも人生において何度も難局を経験しますが、その難局にあっても神様は必ずこのゲダルヤのような一縷の救い、最後の砦を用意してくださっているものです。それは必ずしもゲダルヤのような人物が用意されているということではありません。たとえばそれは、「辛い毎日だけどこの映画を見ると気力が湧いてくる」というような映画かもしれませんし、貧しいながらも日々の食事の寝床を与えてくれる家族かもしれません。それがどういうものかは人それぞれですし、ケースバイケースですけれども、でも必ずそういった「最後の砦」は与えられているものです。
イスラエル人たちはこのゲダルヤの噂を聞いて、彼の管轄地に集まりました。彼らは自分たちの寄る方を探し求め、それを見つけたんです。僕たちも難局に置かれた時、このイスラエル人たちのように、自分に用意された「ゲダルヤ」を探し求めること、そして必ずそれが用意されていると信じることをやめてはならないのだと思います。
そして、その寄る方にすがって生きていれば、いつかその難局も終わるんです。水難事故にあったときに、もちろん救助の船が来てくれるにこしたことはないですが、まずは浮き輪でも木材でも、とにかく浮くものにしがみつくことが大切です。そしてそれにしがみついて救助の船を待てばいいんです。残念ながら水難事故では必ず救助がくるとは言い切れないケースもありますが、人生の難局には必ず神様が寄る方を用意し、そして最終的な救助も用意してくださっています。
助けを信じてまずは浮き輪につかまること。これが難局を乗り越えるのにまず必要なことです。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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