続「この兄ちゃんダレ?」 【関野和寛のチャプレン奮闘記】第10回

医療従事者の中でもコロナ感染者が急増。ナースたちは人手不足の中、これまでの業務の倍以上の仕事をこなさなくてはいけない。社会は「withコロナ」と言うものの、院内はまだまだ大混乱である。だがそのような中、今日も患者さんたちは息を引き取っていく。しかも家族、親しい人などそばに誰もいない中でだ。

ナースや他のスタッフがそれでも最後の時にはそばにいた。だが、この状況では不可能。そこで、チャプレンである私に声がかかる。「あんた、セラピストやったっけか? ×××室のAさんお看取りやさかい、そばにいたってや」

部屋に行くと癌末期のAさんが口をパクパクと動かし、肩で息をしている。看護師が酸素マスクを調整しようとしていたが、苦しそうな下顎呼吸は続いている。「チャプレンです、私がそばにいます」と伝え、入室する。

室内には大きなテレビの音声が流れている。なんとかAさんの孤独を和らげようと、看護師がつけていたのだ。確かにひとりぼっちの部屋で苦しい呼吸のAさんを放っておくのは、この上なく忍びない。だがしかし、テレビから流れるニュースの音はウクライナの戦況を伝えるキャスターの悲壮感あふれる声だ。人の聴覚は最後まで残るという。人生の最後に、病の苦しさの中、戦争の状況を聞きながら世を去らなくてはならないのか。

「はーっ、はーっ、はーっ」

荒い呼吸が部屋に響く。知り合いでもなんでもない私が入っていく。「Aさん、はじめまして。病院のスタッフの関野です。患者さんの横にいさせていただく仕事をしています。ちょっとテレビ消させてくださいね……」とテレビを消す。

「本当に苦しいですよね……声にならなくとも、私に何でも伝えようとしてください。私はAさんのそばにおりますので」

「はーっ、はーっ、はー」

依然、苦しそうな息が部屋中に響く。自分の存在が逆にAさんを苦しめているのではないかと感じ、部屋を去りたくなる。

けれども、ただただ黙ってAさんの横に座る。何もしない、何もできないことが一番辛く、虚しい……。だが、私がどう感じるかは二の次。私はAさんのためだけにここに呼ばれているのだ。

「はーっ、はーっ、は」

Aさんの呼吸を10回聞き、それから声をかける。「Aさん、本当にお疲れさまでした。これまでいろいろなことを経験されましたよね……」

「はーっ、はーっ」。Aさんの息を10回感じ、言葉にならない息の中にAさんの声を探す。「いろいろなこと、ありましたよね……。嬉しいことも、苦しいことも、そして今が本当に辛いですよね……」

「はーっ、はーっ」

もちろん言葉は聞こえてこない。だからこちらも、今度は言葉に頼らずゆっくりとAさんの肩をさする。

「はーっ、はー……」

不思議と苦しそうだったAさんの呼吸が少し緩やかになる。

「Aさん、本当にお疲れさまでした。いろいろあった人生、本当に本当にお疲れ様でした……」

今日会ったばり。でも、Aさんのこれまでの人生を想像することはできる。そしてゆっくりと、Aさんの肩をさする。

「はー……はー……」

「Aさん、この最後の時間、そばにいさせてくださってありがとうございます。大丈夫ですよ……。もうすぐ天国ですよね……」

「はー……… はー………」

30分ほどAさんの横にいただろうか。Aさんの呼吸は徐々に静かになっていった。すると先のナースが部屋に戻ってきて、Aさんを見るや否や「あんた何したん!?」と声を上げる。

「テレビを消して、横にいて、ゆっくり声をかけただけです……」と答えた。怒られるのではないかと身構える。誰でもなく、何もできない私はいつも不安でいっぱいなのだ。ナースは走って主治医を呼んできて、「先生っ! この兄ちゃんすごいで! この兄ちゃんが来たらAさん呼吸が信じられないくらい穏やかになったで!」「特にコロナが流行してから、家族が病室入れないし、私たちも手が足りず、本当にお看取り困ってたんや。頼むからまた来てや!」と言った。

Aさんは、その日の夕方に亡くなった。私がAさんと会ったのはその時だけだった。Aさんのこれまでの人生、家族構成などは分からなかった。だが、「おめでとう!」と祝福の声で始まったはずの人生。最後に戦争のニュースをひとり聞きながら終えるよりは、誰でもない私がそばにいる方がましだったと信じたい。

*個人情報保護のため、所属病院のガイドラインに沿いエピソードは再構成されています。

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