神は、わたしの福音すなわちイエス・キリストについての宣教によって、あなたがたを強めることがおできになります。(口ーマの信徒への手紙16章25節)
神は天と地とを創造された神である。人間がどんなに高度な科学技術を誇っても、このように大きく、このように細やかに、そして命が躍動する天地万物を造ることはできない。神が造られなかったら、世界も人間も存在しない。天地万物の創造主である神はこう宣言する。「彼らは皆、わたしの名によって呼ばれる者。わたしの栄光のために創造し、形づくり、完成した者」(イザヤ43・7)。神は万物を神の栄光を現すものとして創造された。
神の見えない永遠の力と神性は被造物に現れており、謙虚であれば神を知ることができる。しかるに、人間は高慢になり、神に感謝することも神の栄光を現すこともしなかった。神は人間の罪を忍耐しておられたが、時が満ちた時、人間を創造の目的に叶う者とするために、御子をお遣わしになった。すなわち、神は御子イエス・キリストを通して御心(みこころ)を啓示し、御子の死と復活によって人の罪の贖(あがな)いを果たされたのである。今日の聖句のように、この「福音、すなわちイエス・キリストについての宣教によって」、神は信じる者の罪を赦(ゆる)し、御許(みもと)に引き寄せ、神の栄光を現す者に再創造される。罪に弱い私たちが神の霊によって強められ、造り変えられる時、無意味な人生から救われ、神の栄光のために生き、死ぬ者となる。
パウロは、「この知恵ある唯一の神に、イエス・キリストを通して栄光が世々限りなくありますように、アーメン」(27節)という頌栄(しょうえい)で本書簡を結ぶ。神をほめたたえ、神に栄光を帰することが、イエス・キリストを証言する聖書の目的である。