神の国は、見える形では来ない。…….実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。(ルカによる福音書17章20〜21節)
人々が神の国はいつ来るのかと尋ねた時、主イエスは今日の聖句を語った。ファリサイ派の人々は、メシアが支配するイスラエル王国の復興を期待していた。これに対して主イエスは、神の国はイスラエル王国という見える形では来ない、「わたしが神の指で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(11・20)と語った。神の国は、主イエスを信じて、その働きにあずかった私たちの間にすでに来ている。主の働きにあずかるとは、私たちが罪を赦(ゆる)されて、神を父と呼ぶ神の子とされることである。私たちは神の子とされたので、悲しみに満ちた世界であっても希望を失わないで生きる。私たちの心を暗くする悪魔的な支配に身を任せず、これと戦う。主イエスによって、私たちは神の子としての自由、勇気、希望、平和を与えられている。ここに、神の国は来ている。
しかし、神の国はまだ成就していない。神の国は「人の子が現れる日(24、26、30節)、神の裁きの後に成就される。その日、「戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる」(ヨハネ14・3)という主の約束が成就する。その日、この世界が終わり、新しい天と新しい地が現れる。
私たちは聖書を通して主の言葉を聞くことにより、日々新たに、主の働きとその恵みにあずかる。今、信仰によって主の働きの恵みにあずかる私たちは、終わりの日に成就する神の国を、ある部分、先取りして味わっている。「主の慈しみは決して絶えない。………それは朝ごとに新たになる」(哀歌3・22〜23)。