梅雨が明けそうで明けない東京の空模様です。カラッとスカッと晴れた週末が恋しいです。そんな中、今日もクリスチャンプレスをご覧いただき、ありがとうございます。
◆8月1日 水の日
1977年に当時の国土省が制定しました。一年で最も水の消費量が多くなる夏に、水の貴重さを再認識しようという意図だそうです。
キリスト教と水とは切っても切れない関係です。クリスチャンになる時の洗礼には水か不可欠ですし、旧約聖書のノアの方舟のエピソードでは世界が水で流されてしまいました。そもそも、創世記の最初には神様が「光あれ」と言う前に「水」が存在しています。
地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。(創世記1:2)
世界で最初の哲学者と言われるタレスは「万物の根源は水である」と説きましたが、タレスが生まれたのは紀元前625年。一方で創世記が記されたのは紀元前1500年くらいか、遅くとも紀元前1000年頃だとされています。タレスの何百年も前から、「最初に水があったのだ」と言っているんですね、聖書は。ただ、タレスの言った「水」というのは、いわゆる「Water」ではなく、「水のようなもの」、すなわち「流れゆくもの」「形を変えるもの」を指しているという考えもあります。そう考えると、創世記に出てくる「水」も、そのようなものなのか・・・
・・・と、ここは気楽なコーナーなので難しく考えるのはやめにします。そのあたりはもっと偉い学者の先生か何かに考えていただくことにいたしましょう。ともかく、いよいよ夏本番、水は大切にしましょうね。水不足とかになると色々と厄介ですし、手洗いができなくなったらコロナさんたちも繁殖しちゃいますから。それではまた明日。