私たちが生きるこの世界は、今日どのような場所であるのか。
映画『時代革命』は、その核心を端的に覗かせる。2014年の雨傘運動以降、香港の動乱を扱った傑作映画はすでに数多い。2019年の香港を撮った『時代革命』はしかし、そのどれをもしのぐ深度を湛える。個別の状況描写を通し、人間の普遍へ到達する表現力がたしかに具わっている。キウィ・チョウ(周冠威)監督には、なぜそれができたのか。昨年11月の日本初上映(世界で2番目の上映)の場へ居合わせ、ほとんどの観客と同様に大きな衝撃を受けた筆者が以来抱きつづけてきたこの疑問は、監督本人と言葉を交わした冒頭で氷解した。それはまぎれもなく、信仰の力であった。
私はキリスト者です。恐れるべきは神であり、中国共産党ではないのです。香港に居続けながら中国政府へ批判的な姿勢をとる私に対し、怖くないのかと聞かれることも増えました。2019年の夏から3年たって今思うことは、この作品は世界へ警鐘を鳴らしたのだということです。中国と貿易をしたがっている国々の人たち、つまりはほぼ世界すべての人たちへの警鐘を。
『時代革命』は、決して香港のために撮ったのではない、とチョウ監督は強調する。その意図は、全8章の研ぎ澄まされた構成により明確に表現されている。それは香港について国際ニュースで触れる程度の関心しか持たない人々へ衝撃を与える内容であると同時に、深く関心を寄せてきた人間あるいは当事者たちからみれば、2019年に起きたことの逐一を、本作以上に粗漏なく詳らかに一本の映画へ収めることは不可能と直感されるほどに切り詰められ、考え抜かれている。とりわけ2019年6月の反政府デモに始まり香港の立法会(議会)占拠へ至る冒頭2章から、政府に駆り出されたマフィアと警察による市民への弾圧を描く4章までの前半部が有する、出来事各々の仔細へ及ぶ周到ぶりは圧巻だ。
香港や中国では現在、『時代革命』は上映できません。中国本土では、ネット上に「天安門事件」など特定の文字列を書き込むだけで逮捕されることはみなさんもご存知かと思いますが、2019年デモのスローガンとなった「光復香港 時代革命」の8文字も同様に扱われました。その4文字を、映画のタイトルにした。この選択自体が私の態度表明なのです。香港では許可されない作品も密かに撮影をつづけ、香港の外で上映する。私なりの抵抗の仕方です。
2019年の6月から9月までを撮る『時代革命』前半部に対し、後半部は中国の建国記念日にあたる国慶節10月1日以降の動向を追う。2019年に香港政庁がむき出しにした暴虐性が、雨傘運動時(2014年)の比でないことはすでに前半部で描き出されるが、それでも犠牲者が出れば名が掲げられ、失明など重傷を負ったデモ参加者には逐一スポットが当てられた。後半部ではしかし暴力そのものが常態化し、行方不明者、不審な溺死、捏造された墜落自死などの発生は日常となる。そうしたなか11月11日、警察と学生との中文大学キャンパスにおける最初の衝突が起きる。香港中文大学は、世界大学ランキングでも京都大より上位を長年占めてきた名門であり、そのキャンパスが学生ごと武力制圧に曝されたことは世界的にも大きく報道された。
製作段階では、まずデモ参加者へ個別にインタビューを行い、のち現実に路上へ出る彼らを追尾撮影するという手法を採りました。こうして取材対象へ寄り添う形で撮ると、観客もデモ参加者へ近い視点を体験することができます。これらと別撮りの空撮やワイド高精細映像、市民のSNS投稿動画などを組み合わせることで多面性を確保しました。
デモ参加者の追尾取材(手持ちカメラで追尾する監督本人図↑)をしていたあるとき、「伏せろ」と声がしました。しかしカメラを構えたまましゃがまずにいたところ、頭部に衝撃を受け、その瞬間ふと家族の顔が脳裡に浮かびました。それは警察の放ったゴム弾で、幸いそのときはヘルメットをしていたため大事には至りませんでしたが、個人的に危険性を再確認する出来事でした。
主要な取材対象の一人であるデモ参加者の青年と、中文大学学長との現場での対峙も見どころの第7章を経て、映画は最終章「序幕的終末(始まりの終わり)」へと至る。ここでまず映しだされるのは、香港理工大学での警察によるデモ隊封鎖の顛末だ。匿名監督により学内のデモ参加者視点でこの経過を撮ったドキュメンタリー映画『理大囲城』は、昨年秋開催の山形国際ドキュメンタリー映画祭2021で大賞(ロバート・フラハティ賞)を獲得し、日本でも一般公開され話題を呼んだ(弊紙記事では下記にて言及)。この『理大囲城』が立て籠もる当事者視点のみを映すがゆえの迫真性を醸すのに対し、『時代革命』第8章はその外部で何が起きていたか、警察包囲網をどう切り抜けるかの攻防も描く俯瞰性に秀でている。
両作をくらべたとき、『理大囲城』では映りでることのなかった下水道を通じた包囲網突破をめぐる一幕が、筆者にはひときわ象徴的に感じられた。包囲の外で脱出をまつ救助者側は、スマホのGPS機能により応答の途絶えた仲間の座標位置は分かっても、どうたどり着き、どう脱け出せるのかわからない。予定時間を超えても動きを止めたスマホ画面上の輝点からでは、その生死さえ判別できない。首まで浸かる汚水と襲い来る害虫の群れ。進むほど下がる酸素濃度。奪われる体力と体温。それはまさしく、ナチスドイツ軍に包囲されソヴィエト軍に裏切られたワルシャワ蜂起の末路を描くアンジェイ・ワイダ名作『地下水道』(Kanał, 1956)そのものの描写であり、2019年香港での出来事がいずれ世界史的事象のなかで捉え返される必然を鮮やかに視覚化した、本作白眉の一場面といえる。
映画を通して己の信仰や思想を語ろうという姿勢を私は採りません。自分の信じていることをとにかく実践すれば、私に内在する信仰や精神はおのずとそこに立ち現れる。現場でみた人々の怒りや受けた傷、希望、善良な心の持ち主、そうした私自身が目にしたものは、自然と作品に描きだされると考えています。
1979年生まれの映画監督キウィ・チョウ(周冠威)にとって『時代革命』は、初めてのドキュメンタリー作品となる。1997年の香港返還を思春期の十代後半に迎えた彼にとって、映画監督への道のりはそのまま香港映画凋落の道行きへと重なる。2013年の修了制作『一個複雑故事(とある複雑な話)』で監督デビューを果たし、雨傘運動の2014年から十年先を見据えたオムニバス傑作『十年』では強い中国政府批判が込められた短編「焼身自殺者」を監督。統合失調症の青年が一目惚れする女性と、彼女に瓜二つな精神科研究生とを同一俳優が演じる2020年の劇作長編第2作『幻愛』(夢の向こうに/Beyond the Dream)は、虚実の変転模様そのものが今日の香港社会への痛烈な諷刺となっている。
実は『時代革命』より先に準備を始め、第3作となるはずだった劇作物の企画がありました。しかし2019年の情勢変化を受け急遽ドキュメンタリー映画『時代革命』を製作、海外での公開へ漕ぎ着けたところ、その劇作物の資金集めが困難に陥りました。主要な出資者であった知人は中国本土でも仕事をしており、『時代革命』のような作品を公開されてしまった以上今後あなたへの支援は難しい、と連絡が来たのです。今の香港映画界では、こうした形での恐怖心に基づく自己検閲が全面化しています。この流れに対しては、二方向で対応したいと考えています。一つは恋愛映画など政治的な軋轢を生み得ない作品を撮ること。もう一つは、製作費がわずかでも香港で上映できない作品を並行して撮っていくことです。
(2020年から21年にかけて、反政府デモ関係者や中国へ批判的なメディア経営者らが逮捕収監されつづけた結果として)2022年現在の香港では、メディア上での中国政府批判は一切消えました。市民組織については、教師の組織や労働組合も次々に解散させられ、主導者は逮捕され、現在目立った動きはなく、水面下の動きも恐らくないと思います。『時代革命』撮影後、実は海外移民も考えました。しかしその後家族と相談し、香港に居続けることを決めました。どちらが正しいということではなく、私はそのような仕方で、どんな対価を支払ってもここで映画を撮りつづけると決めたのです。
『幻愛』は、香港のオーソドックスな恋愛映画のパターンを踏襲しつつも、複数の鏡を介した視線の交錯や度々挿入されるトンネルによる虚実の転換演出など、隠喩・象徴表現に込められた高度な抽象性/精神性の際立つ良作だ。『幻愛』を観ると、もし香港がこのような事態へ嵌っていなければ、チョウ監督の作品世界はここからどのように変容/昇華し得たかを思わず想像してしまう。もちろんそれは詮無き想像にすぎないとしても、昨年のカンヌ国際映画祭でのサプライズ上映から世界を刮目させつづけている『時代革命』が、映画監督キウィ・チョウの全てでも本領でもないことは書き付けておく必要があるだろう。そしてこれは、同様に香港市民の抵抗へ共感的な創作活動を捧げるすべての表現者についても言えることだ。彼らは彼ら個別の土俵において、できる最大限の力を尽くして今なお戦いつづけている。
子どものときは神を信じていませんでした。弱い人間がすがるものと馬鹿にさえしていたと思います。けれども20代になり映画にどっぷり浸かると、西洋の多くの名監督が敬虔な信仰を抱いていると知り、信仰に対し謙虚になる必要を感じたのです。そしてキリスト教を研究したいと思いました。そうして信者となり、祈りを捧げていたあるときふと、あなたは本当に存在するのかと問いました。その瞬間、ある映画の題名が浮かびました。それは『エデンの東』でした。中学生のとき初めて観て、とても感銘をうけた作品です。
キリスト教会の中でも、香港の惨状に対してなぜ神は沈黙するのかと問う声が聞かれました。しかし私はここで暮らしている人々に向け、なぜ沈黙してしまったのかと逆に問いたい。神がむしろ私たちに、「声を出しなさい」と求めているように感じられるのです。
(ライター 藤本徹)
『時代革命』 “Revolution of Our Times”
公式サイト:https://jidaikakumei.com/
2022年8月13日(土)より、ユーロスペースほか全国順次公開
【関連過去記事】
【映画】 決断する若者たち 『Blue Island 憂鬱之島』 チャン・ジーウン監督インタビュー 2022年7月14日
中国、その想像力の行方と現代 新作映画ジャ・ジャンクー『帰れない二人』、フー・ボー『象は静かに座っている』にみる表現の自由と未来 2019年11月27日
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『時代革命』で凄まじいのは構成のバランス感覚。
2019デモの特徴“Be Water”(流水革命)を空撮で捉える一幕とか脳が痺れた。終盤の中文大から理工大への移行で『理大囲城』が相対化されつつ接続する臨場感。
カンヌ映画祭サプライズ上映後としては、今日の東京フィルメックス上映が世界初となった由。 pic.twitter.com/RbhUp8u61C
— pherim⚓ (@pherim) November 7, 2021
『理大囲城』(理大圍城 / Inside the Red Brick Wall)
2019年11月香港理工大学での、11日間に及んだ学生と警察との攻防。
千人以上の逮捕者を出したこの騒動、内部で何が起きていたかを直に捉える映像は、その物量で報道由来のイメージを破壊してくる。窮して籠絡されゆく仲間を見送る影姿の孤独。 pic.twitter.com/Sfl7NbCFyA
— pherim⚓ (@pherim) July 6, 2021
『地下水道』“Kanał”1956🇵🇱
出口なしの暗闇行路。
見捨てられたワルシャワ蜂起の末路。ぬめる煉瓦の網状迷路、地上で待つナチスの銃口。弱る体力、汚水に毒ガス、鈍る思考と視力。抜け出た中隊長が闇へ戻る終幕に戦慄する。
大昔に観たアンジェイ・ワイダ初期の抵抗三部作、他も再鑑賞必須だなん。 pic.twitter.com/QcgOy0eFpn
— pherim⚓ (@pherim) August 2, 2022
『十年』
香港の低予算秀作オムニバス。大陸中国による統制が強化された十年後の香港を描く。紅衛兵のような息子の同級生から、香港産の卵の「本地(地元産)」表記を糾弾される『地元産の卵』の良構成と演出の抑制が際立つ。鋭い切迫感が通底する他作も、運転手の家族劇や終末SF調など見応えあり。 pic.twitter.com/8K2Uk8YCMn— pherim⚓ (@pherim) June 15, 2017
『幻愛』(夢の向こうに/Beyond the Dream)
統合失調症の青年が一目惚れする女性と、
彼女に瓜二つな精神科研究生。異なる人格を演じ分けるセシリア・チョイ/蔡思韵に見入る。ズームイン/アウトや鏡像、トンネル等を使った虚実の転換演出と、いかにも香港な恋愛描写が楽しいキウィ・チョウ2019年作。 https://t.co/aFnOeNpAgd pic.twitter.com/bviQwz94CU
— pherim⚓ (@pherim) December 31, 2021