シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」⑦一致に伴う多くの痛み、だけどそれが恵み 【Road to えきゅぷろ2022】

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「私は『えきゅぷろ』が嫌いでした」

2018年夏に行われた「えきゅぷろ」での合同礼拝に「証し」の担当者として登壇した際、こんなきわどい発言をさせていただきました。私が「えきゅぷろ」が嫌いだった理由は、それぞれの教派が自分たちの立場を譲らないでいつもぶつかり合っているように見えたからです。けれどもそれがとても大切なことなのだと、「えきゅぷろ」にコミットしていくうちに気づきました。意見が一致しやすい表面的なところだけ手を取り合っても、それは本当の意味での一致とは言えません。一致できないところに目を向けて、一致できない痛みを共に味わってこそ、本当の意味で一致していくことができます。それがエキュメニカル、否、「えきゅぷろ」の醍醐味なのだと今では感じています。

「えきゅぷろ」のスタッフたちは、みんな自分の教派、教会を大切にしています。その上で他教派の仲間たちとみんなで一緒に神様を見上げようとしています。神様は、私たちにキリストの体としてさまざまな賛美の仕方、異なった礼拝のかたちを与えてくださっています。それは時に一致していく上での大きな障がい、傷、痛みになるかもしれません。見ないで済むなら目を背けたくなるような暗い部分かもしれません。しかしそれは、私たちに与えられているたしかな恵みです。私たちには一つだけでなく、神様への愛の表現のかたちがいくつも与えられています。その豊かな多様性に感謝して共に同じ神様を賛美し、礼拝していくことができればと強く願っています。

まずは、互いに出会うところから、語り合うこところから、笑い合うところから、祈り合うところから、そして共に痛みと向き合うところから、そこから一致は始まっていきます。そのことを信じて、「えきゅぷろ」が今後もさまざまな教派の人たちの豊かな出会いの場、語らいの場となることをいつも心から祈りつつ!

(スタッフ・柳沼大輝=日本基督教団千歳船橋教会)

【Road to えきゅぷろ2022】 シリーズ「あの頃、私はエキュかった!」⑥小さな教会の物語 2021年9月11日

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