連載・コラム
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12月28日「聖霊と火で、バプテスマをお授けになる」
わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちにバプテスマをお授けになる。(ルカによ…
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商売にも勉強にも「元手」が必要【聖書からよもやま話456】
聖書は「知恵の初めに知恵を買え」と教えています。お金を得るためにはお金の元手が必要ですが、知恵を得るためにも知恵の元…
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12月27日「悔い改めにふさわしい実を結べ」
悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などという考えを起こすな。言っておくが、神はこんな石ころから…
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死は「絶望的な別れ」ではありません。【聖書からよもやま話455】
愛する人が亡くなってしまうことはもちろん悲しい。愛しているまま、愛されているまま、つまり心が別れないままに亡くなった…
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12月26日「わたしはこの目で、救いを見たからです」
主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見…
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家康さんは諫言を聞きましたが、今の社会はいかがでしょう。【聖書からよもやま話…
大河ドラマの『どうする家康』が完結しましたけれど、あの作中の家康さんは家臣の耳の痛い諫言を実によく聞いていました。諫…
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12月25日「いと高きところには栄光」
いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心(みこころ)に適(かな)う人にあれ。(ルカによる福音書2章14節)
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洗礼名って何? 平林冬樹 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】
カトリック教会や東方正教会、聖公会などでは、受洗の時、洗礼名を付ける習慣があります。またカトリック教会では、堅信の時…
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12月23日「救い主である神を喜びたたえます」
わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。(ルカによる福音書1章47節)
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証拠を求めれば愛は壊れる【聖書からよもやま話453】
愛というのは神様との間でも、人間同士でも、信じることが大切です。いくら証拠を求めても、実は証拠になんてなりません。「…
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12月22日「お言葉どおり、この身になりますように」
わたしは主のはしためです。お言葉どおリ、この身に成りますように。(ルカによる福音書1章38節)
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恥ずかしいエンドロール【聖書からよもやま話452】
主の御名をあがめます。皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。聖…
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12月21日「わたしを愛しているか」
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」(ヨハネによる福音書21章17節)
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「あいつは俺が育てようなもんだ」なんて言わせない【聖書からよもやま話451】…
主の御名をあがめます。皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。聖…
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12月20日「見ないのに信じる人は、幸い」
わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。(ヨハネによる福音書20章29節)主イエスに崇高な人格を認…
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12月19日「あなたがたに平和があるように」
イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。(ヨ…
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まずいレストランに何度でも来てくださる神様【聖書からよもやま話450】
神様の度量というのは、レストランで料理がまずくてもそのことを責めずに「そんなこともあるよ」と言い、そして「この前はま…
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【断片から見た世界】『告白』を読む「『限界状況』と精神の生」
「苦しむこと」をめぐる思索:フランクルからキルケゴールへ強制収容所における悲惨を体験したV・E・フランクルは、「苦しむ…
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12月17日「見て、信じた」
先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。(ヨハネによる福音書20章8節)東の空が明け染めた日曜日の早朝、…
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12月16日「成し遂げられた」
イエスはこのぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネによる福音書19章30節)