家康さんは諫言を聞きましたが、今の社会はいかがでしょう。【聖書からよもやま話454】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エレミヤ書の38章です。よろしくどうぞ。

 

エレミヤ書 38章4節

そこで、首長たちは王に言った。「どうか、あの男を死刑にしてください。彼はこのように、こんなことばを皆に語り、この都に残っている戦士や民全体の士気をくじいているからです。実にあの男は、この民のために、平安ではなくわざわいを求めているのです。」(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

 

預言者エレミヤはイスラエルの民に言いました。「君たちは新バビロニア王国に勝てない。だから降伏しなさい。そうじゃないとみんな殺されてしまう。降伏すれば殺されることはない」と。

エレミヤは個人の意見や推測としてこれを言ったわけではありません。預言者、すなわち「神の言を預かる者」として、神様からのメッセージをそのまま民に伝えたんです。しかし民も指導者もこれを聞いて怒りました。「どうして僕たちの戦意をそぐようなことを言うんだ!士気が下がって本当に負けてしまうじゃないか!王様、こんな奴は死刑にすべきです!」それでエレミヤはギリギリ死刑にはなりませんでしたが、劣悪な環境の穴に放り込まれ、ひどい目に会いました。

耳の痛いことを人に言うのは難しいものです。それを言えば「そんなこと言わないでくれよ」と疎まれたり嫌われたりするかもしれません。ましてそれが大勢にとって耳の痛いことであれば、現代で言うならば「大炎上」して、「叩き」とか「誹謗中傷」の格好の的になってしまうことでしょう。それが正しいことであっても、断罪され、制裁されることになってしまいます。

しかし耳の痛いことを言ってくれる人というのは大切にすべきものです。人は大人になるにつれ、耳の痛いことを言ってくれる人が少なくなってきます。叱ってくれる人が少なくなってきます。ですから大人になってもなお耳の痛いことを言ってくれる人は本当に貴重です。そして何よりそんな人は、相手に対する本当の愛を持っています。愛があるからこそ、耳の痛いことを言ってくれるんです。

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UnsplashElice Mooreが撮影した写真

エレミヤも、そして彼に預言を与えた神様も、イスラエルの民を心から愛していたんです。だからこそ、耳の痛いことを言いました。イスラエルの民のことが本当に嫌いなら、そんなことは言わずに自分だけさっさと逃げてしまった方が良かったんです。それでもエレミヤは言いました。時には神様に「こんなことを言ったら私は迫害されてしまいます」と嘆いたりもしましたが、それでもエレミヤは言い続けました。これがどれほどの愛か。

もちろん、ただ闇雲に天邪鬼のように耳の痛いことを言うのではよくありません。なんでも否定して、なんでも悪いことばかりを悲観的にとらえて、「これは忠告だ」と言っても説得力はありません。大切なのはそこに愛があるか否かです。「これはお前のために言っているんだぞ」という言葉の裏に、その人の目の奥に愛があるか否か、これが大切なんだと思います。その人の根底に愛を感じないなら、それは放っておいてもいいでしょう。しかし根底に愛を感じるなら、それがどれほど耳に痛くても、それは決して投げ捨ててはならない諫言なのだと思います。

大河ドラマの『どうする家康』が完結しましたけれど、あの作中の家康さんは家臣の耳の痛い諫言を実によく聞いていました。諫言に耳を貸さなくなった秀吉さんは滅びました。心ある諫言を受け入れる度量、これこそが人間の度量の最たるものではないかと思います。それは個人においてだけでなく、社会の単位でも同じかと思います。耳の痛い諫言を受け入れなくなった社会は危うい。このことは一人一人が胸に刻んでおくべきことかと思います。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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