【あっちゃん牧師のおいしい話】第12回 肉を断つ 齋藤篤

あなたは、断食をするとき、頭に油を塗り、顔を洗いなさい。
新約聖書 マタイによる福音書6章17節(聖書協会共同訳)

私が東京・世田谷の地に越してきて6年が経とうとしていますが、その間、教会以外の場でも多くの知人友人が与えられました。地方ならばまだしても、東京のような都会ともなりますと「隣はなにをする人ぞ」などということは、決して珍しいことではないと思います。しかし、教会の周りにもこの地で生まれ、育ち、もしくはもう何十年も住んでいる人たちがおられます。植木屋さん、水道屋さん、酒屋さん、地主さんなどなど、一見強面(こわもて)のおじさんたちでも、その実はとても優しく、僕のような新参者にもとても丁寧に接してくださいます。とてもありがたい限りです。

そんなお知り合いのなかで、本日登場されるのはMSさんという方です。この辺りのことをなんでも知っているMSさんは、幼い頃からの住人です。そして、後から知ったのは、MSさんは何と明治期から続くクリスチャン一族のおひとりであったということでした。ですから、サラリと神さまの話もできてしまいます。とても地域とのつながりを大切にしておられる、素敵な方なのです。こういう方と親しくなれるのも、本当にありがたいことです。地域あって、僕のような牧師の仕事は成り立っていくわけですから。

先日、MSさんとある居酒屋で一緒になって、ディスタンスの利いたカウンターで一緒に呑んでいた時のことです。話題は「肉」の話になりました。話によるとMSさん、もう15年も「肉断ち」をしているとのことでした。もちろん、人付き合いの良いMSさんですから人から勧められる肉まで断ることは決してないのですが、自分からは進んで肉を買ったり頼んで食べることがないんだそうです。そういえば、確かに肉料理を頼んだのを見たことがないなぁと。普段は肉に代わって、タンパク質を豆類で補うんだそうです。肉を断つことによって、身体がとても楽になったと話してくれました。

なんでこういう話になったかというと、いよいよ「断食の期節」がやってきたからです。

断食の期節。救い主イエスが死からよみがえったことを祝うイースター(復活祭)に先立つこと、6回の日曜日を除いた40日間は、イエスによる救いをじっくりと考える時として、先人たちが大切に守り続けてきました。いわゆる受難節とか四旬節(しじゅんせつ)、レントと呼ばれる時期は、イエスが十字架にかけられて苦しみながら、その肉体を神にささげたことを思いつつ、伝統的に「肉断ち」をする習慣がありました。ドイツでは、この期節のことを「Fastenzeit(ファステンツァイト:断食の時)」と呼んでいます。もっと分かりやすいのは、このレントを迎える前の1週間、世界の各地で「カーニバル(謝肉祭)」が行われます。肉を断つ前に思いっきり肉を食べようじゃないか!という祭りなのです。さんざん肉を楽しんでから肉断ちをする。ストイックなのか快楽的なのか、まぁ、メリハリが利いていて、楽しいですよね。

今年2021年のレントは、2月17日から4月3日までの日曜日を除いた40日間です。このレントの期節をどのように過ごそうかと思っていた時に、MSさんと肉断ちの話になったというわけです。そして、私にとって目からウロコだったのは、肉断ちをした結果「楽になった」というお話だったのです。何かを断つ生活というのは、苦痛に満ちあふれたものでないんだということを、改めて感じさせられる機会となりました。肉の好きな僕にとって、この話はチャレンジしてみる価値がありそうだと大いに思わされた訳です。MSさんも「先生も是非試してみたらいいですよ〜」と後押し。ゆるやかな肉断ち生活を、今年は是非送ってみたいと願わされた僕でありました。

ということで、決して悔い納め、、、いや、食い納めという訳ではないのですが、この一週間は、なぜか「肉をじっくりと煮込む」ということに、気持ちが向く日々でありました。それも固い肉を大鍋でじっくりと煮込んで柔らかくなるのを見つめて待つような料理ばかりをこしらえました。牛すじ肉、豚なんこつ肉といった具合に、カチカチのゼラチン質部分が、やがてプルプル状態へ変化する様を目と舌で堪能しました。備えも十分!レントの日々へ向かってまいりたいと思います。

順次レポートしてまいリますので、是非お楽しみに!

あっちゃん牧師のおいしい話、今回はこれにておしまい。お付き合いくださりありがとうございます!



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