12月26日「わたしはこの目で、救いを見たからです」

主よ、今こそあなたは、お言葉どおり、この僕(しもべ)を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。(ルカによる福音書2章29〜30節)

両親は幼な子イエスを抱いて神の宮に入った。そこに年老いたシメオンがやって来て、両親に抱かれた幼な子イエスを見た。彼は神の霊に導かれて、この幼な子が長い間待ち続けていた救い主であると知り、幼な子を抱いて、今日の聖句を語り、神をほめたたえた。

年老いたシメオンは、神の宮を離れず、神が約束された救いを待ち望んでいた。そうすることによって、彼は自分の死に備えようとしていた。今、彼はその救いを見たと言い、神に「あなたは、…この僕を安らかに去らせてくださいます」と感謝した。彼は死を前にして、自分を委ねるべき救い主にお会いし、死の彼方に用意されている神の国を確信し、平安を得たのである。

私たちは皆、やがて自分の死ぬべき時を迎える。そのことを知って、死に備えることは人生の大事な仕事である。日々の仕事だけに追われて、自分の死を考えないのは愚かである。自分の死を問い、問われることによって、私たちはいかに生きるかを問い、問われる。死に備えない者は、死を前にした時、恐れと諦めの中で存在の無を迎えるであろう。

「この僕を安らかに去らせてくださいます」と感謝して言えるためには、シメオンのように神の宮を離れず、神の救いを待ち望むことである。そうすれば、主イエスにお会いして、神の国に希望を置いて生きる者とされる。年老いても、病気になっても、決して奪われない希望と平安を知る。死に臨む時、与えられた人生を感謝し、安らかに去ることができる。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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