連載・コラム
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1月18日「わたしたちの間で跪いている」
神はわたしたちの中で跪(ひざまず)いている。わたしたちの目線に立ち、わたしたちと共に神ご自身を分かち合う。
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1月17日「期待を抱いて」
この人やあの人に神が今日何を為してくださるのだろうかという期待を抱き、わたしたちがお互いを見る時に、信仰共同体は花開…
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月は自分で光らないからこそ美しい【聖書からよもやま話463】
自分で光れるならきっと周りはいつも明るいことでしょう。でも明るい中では光は輝きません。月のように、夜の暗闇の中で光る…
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1月16日「子どものような信頼感」
キリスト教信仰とは神経症的な依存ではなく、子どものような信頼感である。
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家庭集会をしています 古川和男 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】
がんで教会出席が難しい高齢の母のための集まり、友人をお誘いした集まり、家族のためのクローズドな学び、夫婦関係をテーマ…
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キリスト教を「信じる」とは? 平林冬樹 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ…
Q.よくできた「行動規範」や「道徳律」としてキリスト教の教義に従うことは、キリスト教を信じることとは違いますか?(2…
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1月15日「礼拝」
礼拝とは、わたしたちの神への飢えを満たすものではない。礼拝はわたしたちの飢え渇きを刺激する。
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1月14日「悔い改め」
アメリカの歴史の中で特に興味深いものは、19世紀にアメリカにやってきた移民たちの物語である。
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1月13日「不満」
色々な嘘や敵意に溢れる文化に身を置く人々はそのような文化に溺れているように感じる。
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だます人は「あなたはだまされている」と言う。【聖書からよもやま話462】
親しくない人が寄ってきて「あなたはだまされている」と言うとき、それは大抵その人の方があなたをだまそうとしているときで…
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1月12日「聖なるもの」
わたしたちの世界では宗教的体験の大きな市場が存在している。美徳を辛抱強く手に入れようとする意気込みは見られない。
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1月11日「転覆活動」
イエスは転覆活動の名士である。最後の最後まで、弟子たちを含めて、全ての人々はイエスをラビと呼んだ。
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20世紀10人の殉教者の一人――王 志明 劉 燕子 【この世界の片隅から】
ウェストミンスター寺院は昨年5月6日にチャールズ国王の戴冠式が挙行されたところである。そこでは歴代の国王・女王の戴冠…
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〝寺嫁〟たちのレジスタンス 丹羽宣子 【宗教リテラシー向上委員会】
名乗る呼称によって所属が推測されてしまうが「寺嫁」であればどこの宗派かわからない。顔はもちろん住んでいる地域も、年齢…
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礼拝後のお茶はいつから? 平林冬樹 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ…
Q.礼拝後にお茶を飲んだり食事をしたりする習慣はいつから始まったのですか?(20代・女性)カトリック教会では、主日の…
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富も名誉も名声もなしに幸せになる【聖書からよもやま話461】
人間はつい、僕も含めて、他の人間の評価を求めて生きてしまいます。他人の評価こそが自分の価値であると錯覚したりしてしま…
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1月10日「クリスチャンのスピリチュアリティー」
わたしは詩人で農家であるウェンデル・ベーリーの本を読むのが楽しみだ。
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欲望は理性の天秤を破壊する。【聖書からよもやま話460】
大きなことでも小さなことでも、目の前の欲望は理性の天秤を破壊します。大きな欲でも小さな欲でも、この「天秤を破壊する」…
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聖書って読みにくい… 平林冬樹 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&…
わかりやすさを求める誘惑は、いつの時代も存在しました。人間の理性で理解できないことは無意味であるという考えは、今でも…
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1月9日「言葉は贈り物」
交わりのために言葉が贈り物として与えられている。わたしたちは交わりの本質を学ぶ必要がある。これは次のようなことが啓示…