12月17日「見て、信じた」

先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。(ヨハネによる福音書20章8節)

東の空が明け染めた日曜日の早朝、ペトロと「もう一人の弟子」ヨハネは、マリアから主イエスが葬られた墓の石が取り除けられていると聞き、墓に向って走った。そして「空になった墓」を見て、主が語っていた復活のことを思い出し、信じた。

その後、復活の主イエスが弟子たちにご自分を現された。復活の主は、弟子たちが食を共にし、その言葉を聞き、その業に触れた主イエスであった。弟子たちは喜びにあふれ、人々を恐れて隠れていた家から外に出て、大胆に主イエスを宣教した。「神はこのイエスを復活させられたのです。わたしたちは皆、そのことの証人です」(使徒2・32)。

人間は神に背を向けている罪のために死に支配され、その人生は空しくなっている。主イエスは罪と死に捉われている人間に永遠の命を得させるために世に来た神の御子(みこ)である。主イエスはご自分の命を犠牲にして、人の罪の贖(あがな)いとなってくださった。神は十字架で死んだ主イエスを復活させて、罪と死から救うキリストとして立てられた。だれでも主イエス・キリストを信じるならば、神に罪を赦(ゆる)され、死の力から解放される。主を信じる者の人生は死に向かって終わるのではなく、死の先にある神の御国(みくに)に向かって行く。主が死の壁を突き破ってくださったからである。

主イエスの復活を宣教する弟子たちには、絶えず疑いの声がついて回った。また人々から脅かされ、迫害された。しかし、弟子たちはもはや以前の人々を恐れる人間ではなかった。彼らは死に勝つ福音を携えて遠い世界にまで足を運んだ。弟子たちの変化した生き方こそ、主の復活の事実を証している。

 






メルマガ登録

最新記事と各種お知らせをお届けします

プライバシーポリシーはこちらです

 

オンライン献金.com