5月26日「神のものは神に返しなさい」

皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。(マルコによる福音書12章17節)

主イエスを陥れるために、日頃、主張を異にするファリサイ派とへロデ派が一緒になって、皇帝への税金を納めるべきかどうかと問うた。「納めるな」と答えれば、主イエスを皇帝に背く者としてローマ総督に訴えることができる。反対に、「納めよ」と答えれば、ユダヤの民衆は主イエスに失望するであろう。主イエスは彼らの下心を見抜いて、今日の聖句を語った。主はユダヤを治めるローマ国家を認める。それゆえ、皇帝への責任を果たせと言う。しかし、すぐに「神のものは神に」と言って、皇帝は神ではないことを示す。皇帝の権威は絶対ではなく、神の支配の下にあるのである

初代教会のキリスト者たちは税金を拒否して、ローマの法律を犯すことはしなかった。「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです」(ローマ13・1)。しかし、紀元二世紀に入って、皇帝が神のように崇められ、人々の信仰まで支配しようとした時、キリスト者たちは「イエスは主である」と告白して、抵抗し、殉教した。「政教分離」は歴史の中で戦い取られた法律である。国家は国民の思想信条を支配してはならない。むしろ、国民の「信教の自由」を守るのが役割である。国家が国民の生命と人権を守る役割を果たしている限り、国民は国家への義務を果たすべきである。しかし、国家はしばしば国民の思想信条を方向づけようとする誘惑を持っている。ゆえに、国民は国家の動向に関心を持たなければならない。主イエスは「神のものは神に」と言って、人間を神の前に立たせる。私たちは政治、教育、経済が営まれる国家に身を置いて、常に神の御心(みこころ)を問い、行動することが求められる。

 






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