「えらい人」が本当に乗るべき乗り物【聖書からよもやま話399】

主の御名をあがめます。

皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。
本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、2021年の7月12日からスタートしましたから今日でちょうど2周年です。2周年でちょうど400回記念!だと良かったんですが、惜しくも今日は399回目、400回記念は次回ですがいずれにせよ「思えば遠くに来たもんだ」という気持ちです。これまで2年間ありがとうございます。3年目も引き続きよろしくお願いいたします。

さて、今日は旧約聖書、ゼカリヤ書の9章です。よろしくどうぞ。

ゼカリヤ書 9章9節

見よ、あなたの王があなたのところに来る。
義なる者で、勝利を得、
柔和な者で、ろばに乗って、
雌ろばの子である、ろばに乗って。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ここでは神様から「君たちはやがて勝って、王様が凱旋する日が来るよ」というメッセージが示されているのですが、そのときその王様はろばに乗って来ると書いてあります。ろばというのは当時としては最も身近で、安価な乗り物でした。現代日本で言えば軽自動車とかスクーターみたいな感じかもしれません。

えらい人というのは立派な乗り物に乗りたがるものです。きっとそれは乗り心地も良いのでしょうが、それよりも自分の権威を示すために乗っているのだと思います。アメリカ大統領のエアフォースワンは有名ですし、日本の総理大臣だって移動の時には黒塗りの立派な車に乗っています。天皇陛下は専用の「御用列車」に乗ったりします。

僕の中学時代からの友人に衆議院議員がいるのですが、彼は議員になっても立派な車に乗ったりせず、軽ワゴンや電車で移動しています。それを聞いて僕はむしろ彼を「立派な男だなぁー」と思いました。乗り物で権威づけなんかせず、等身大の自分のままで動くその姿勢は他の議員さん達もちょっと見習った方がいいと思います。いや、もちろん大統領や総理大臣が大仰な乗り物に乗るのにはセキュリティ上の理由もあるのだというのも分かりますけれどね。
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でもたとえば完全な平和が訪れて、テロの心配や紛争の心配がなくなってセキュリティ上の理由が解消されたとしても、きっと彼ら「えらい人」は立派な乗り物に乗ろうとするのではないかと思うんです。ゼカリヤ書で描かれている「王」がろばに乗っているのは、「私はもう戦う必要がないのだから、身を守る必要さえないのだから馬なんて要らない。ろばでいいのだ」という宣言でもあるかと思います。しかし現代の「偉い人」たちはそんなことを言えるでしょうか。むしろ平和が訪れた時、「平和をもたらしたのは私だぞ」と誇って、余計に立派な乗り物に乗りたがるような気がしますし、本人が「そんなのいらない」と言っても周りの人たちが「いやいや、あなたは立派なんだから立派な乗り物に乗ってください」と、無理にでも立派な乗り物に押し込んでしまうような気もします。

乗り物で人を判断したり、自分をよく見せたりするもっと身近な例としては「彼氏が軽自動車で迎えに来るのが恥ずかしい」なんていう気持ちも挙げられると思います。「高い車に乗っているのは誇らしい、安い車に乗っているのは恥ずかしい」という気持ちが人間にはついつい起こってしまうものです。大切なのは何に乗っているかよりも、誰が乗っているかということのはず。乗り物というのは人を移動させられればそれでいいわけですから。

本当に平和を望むなら、まず「えらい人」たちの乗り物を変えてみるのはいかがでしょう。それだけで平和が近づくような気がします。少なくとも乗り物で自分の「えらさ」を誇示しているうちは、本当の平和なんて来ない気がします。

それではまた。

主にありて。
MAROでした。

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