聖書からよもやま話
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こちらが何もしなくても、悪魔は必ず攻めて来る【聖書からよもやま話320】
「救われない道」から「救われる道」に人が移ること、それは悪魔からすれば裏切り行為にあたります。こう考えれば悪魔が他の…
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忠臣は二君に仕えず、クリスチャンは二神に仕えず【聖書からよもやま話319】
日本人が宗教について「一神教」を嫌うのは、多くの方がそれを「趣味」レベルのものだと考えているからかと思います。「仕事…
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「私」の罪と「私たち」の罪【聖書からよもやま話318】
赤信号、みんなで渡れば怖くない。イエス様、みんなで殺せば怖くない。民主主義、みんなで決めれば怖くない。いえいえ、それ…
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目標以上の成果を求めない【聖書からよもやま話317】
モーセにとって正しかったのは「神様に命じられた通りのものを作る」ことでした。命じられた以下のものしかできないのはもち…
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弱いからこそできることがあります【聖書からよもやま話316】
分かりやすい弱さがあるということは、人間にとって必ずしも悪いことばかりではありません。その分かりやすい弱さによって心…
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神様が本当に欲しいもの【聖書からよもやま話315】
僕たちは時として、神様が明確に欲しいと言っている礼拝や祈りや献金を後回しにして、勝手に「神様はこれを喜ぶに違いない!…
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合意のない「約束」は約束ではありません【聖書からよもやま話314】
約束というのは相互に話し合って合意した時に成立するもので、どちらかが一方的に「こうしてくれたら嬉しい!約束だからね!…
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外側に声をあげるより先にやるべきこと【聖書からよもやま話313】
聖書を信じていない人たちに対して「それは聖書に反している!」と抗議の声をあげても、それは相手には響きません。それより…
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神様の助けを受ける時は焦らなくていい【聖書からよもやま話312】
神様の助けを受ける時、僕たちは焦らなくて良いんです。自分のペースで落ち着いて行動すれば良いんです。だって神様は僕たち…
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人が神様を選ぶのではなく、神様が人を選ぶのです。【聖書からよもやま話311】…
キリスト教においては、人生の決定的な決定権を持っているのは「私」ではなく、神様です。もちろん「私」にもある程度の決定…
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牧師になんでもやらせるのは良くない【聖書からよもやま話310】
教会は牧師だけが動かすのではなく、チームで動かすものです。どんな名投手だって他の8人がいなくては野球はできません。牧…
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罪も病気も、自覚症状がないのがタチが悪い。【聖書からよもやま話309】
自覚症状によって自分が病気だと気づければ病院に行って治療を始めることができますが、たちが悪いのは自覚症状がなくて自分…
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肉を食べるべきか食べないべきか、それが問題だ【聖書からよもやま話308】
肉を食べるか食べないか、色々と議論がありますが、聖書にはどちらの論拠になるようなことも書いてあります。でも最終的には…
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憎さ余って可愛さ100倍【聖書からよもやま話307】
神様に対する憎しみの叫びは、時として何よりも神様を求める叫びなのかもしれません。可愛さあまって憎さ100倍、なんて言…
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親を信頼できる子どもと、神様を信頼できる人は幸せ【聖書からよもやま話306】…
親の愛をきちんと受けている子どもは「明日住む家があるだろうか、食べるものがあるだろうか」なんて心配しません。神様の愛…
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小さなことができれば大きなことは楽勝。【聖書からよもやま話305】
毎日の食事に感謝できる人は、時々食べることのできるごちそうにも感謝します。ごちそうに感謝できない人は、毎日の食事にも…
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「新しい神々」を恐れる必要はありません【聖書からよもやま話304】
「神」というのは、新しいわけがないんです。誰よりも昔から存在したのでなければおかしいわけです。「令和時代に新しく神と…
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「明日が我が身」「明日は我が罪」【聖書からよもやま話303】
人間というのは「嫌いな人」を表明する時、自ずと自分もその「嫌いな人」のカテゴリーに組み込まれてしまっていたりします。…
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わいろはどうしてダメなのか【聖書からよもやま話302】
「わいろを贈ってはいけない。受け取ってもいけない」というのは、万国共通の倫理観かと思います。どこの国であっても、たと…
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バビロン捕囚と夏期講習【聖書からよもやま話301】
あのバビロン捕囚は、中学生の僕にとっての夏期講習のようなものでした。人々があまりに悪に走ったために、つまり「成績が下…