連載・コラム

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    • 聖書に生きる366日

    3月24日「恵みのリズム」

    ヘブライ人の「夕べがあり朝があった」(創世記1章5節)という一連の流れは、わたしたちを恵みのリズムに整えさせてくれる。

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    • 聖書に生きる366日

    3月23日「詩編を祈る」

    ……教皇ピウス10世は次のように述べた。「人は神をどう褒め称えることができるか ―― このことを詩編は教える。特に、礼拝の日…

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    • 聖書に生きる366日

    3月22日「『祈り』とは『ライオンの巣穴』に入り込むこと

    牧師たちが日常的に晒される不愉快な出来事の一つは、大勢の人々が会合や会食のために集っている時に、「牧師さん、ちよっと…

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    韓国キリスト教と「伴侶動物」 李 相勲 【この世界の片隅から】

    わが家には、今月2歳となる犬がいる。ダックスフンドとプードルのミックスである彼女が保護施設からわが家にやってきて1年…

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    • 聖書に生きる366日

    3月21日「祈りは危険である」

    「祈りは危険」ということを十分に知らなければならない。祈りとは、わたしたちには馴染みもなく、備えようがないような秘め…

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    • 聖書に生きる366日

    3月20日「神に注意深く聞き従う訓練」

    わたしは牧師として召命を受けている。叙任されて宣教の業(わざ)に従事している。わたしの人生に神の言葉が臨み、神の恵み…

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    • 聖書に生きる366日

    3月19日「優れた職人は素材を知っている」

    信仰とは、人生における冒険に乗り出すこと、そのリスクを取ることである。「聖なるもの」に自分自身を向き合わせることが信…

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    第7章 傷つけ、傷つけられる牧師 「キリストに仕える」実感を味わう 細川勝利…

    「傷ついた」に甘んじる牧師の仕事は、み言葉を伝え、祈り、自らみ言葉に生きることである。もちろん、いつも愛をもってみ言…

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    イスラエルの地方選挙 山森みか 【宗教リテラシー向上委員会】

    2月27日にイスラエルの地方選挙が行われたので、私も投票してきた。もともと決まっていた選挙日は昨2023年10月31…

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    • 聖書に生きる366日

    3月18日「忠実であり続ける」

    ある一つの陰謀がある。極めて多くの人々が、その陰謀に引っかかている。その陰謀は「祈りと聖書と霊的な指導をわたしたちの…

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    • 聖書に生きる366日

    3月17日「愛に富む神よ ―― お恵みください!」

    愛を惜しまない神よ恵みを わたしに示してください!憐れみが深い神よ わたしの前科を 拭い去りわたしの罪科を こすり取…

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    地方宣教は町おこし 安達世羽 【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】

    「ぜひ新しいこの事業に教会さんもご賛同いただけないでしょうか?」昨年の夏、町の新しい取り組みとして行われる交通弱者対…

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    受洗のための学びは必要? 山元 眞 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ…

    Q.洗礼を受けるための準備として、どのような学びが必要ですか? 信仰さえあれば学びは不要ですか?(20代・男性)パウ…

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    • 聖書に生きる366日

    3月16日「わたしたちの側で始めるのではない。」

    祈るように促されることによって、わたしたちは祈りを学ぶのである。一般に、祈りとは「自分の必要にかられて」あるいは「自…

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    • 聖書に生きる366日

    3月15日「ただ偶然に起こったことなど、何一つもない。」

    全てのこと、一つひとつは、神が創造された作品である。一つひとつ全て、その形態も素材の中に創造者である神のサインが記さ…

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    第6章 牧師と教会のカンケイ 行き先も知らずに出発する 細川勝利 【ジセダイ…

    「お見合い」はほどほどに牧師を迎える教会にとって、次に来る牧師がどんな人物であるか知りたいと思うのは当然である。また…

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    • 聖書に生きる366日

    3月14日「言葉と定型句の練習」

    神は言葉を通して働くのである。言葉を使って、神は救いの物語を語っている。

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    台湾社会におけるキリスト教の認識 清朝末期から日本統治初期の歴史的考察 王 …

    これまで台湾キリスト教史や日台キリスト教ネットワークついて触れてきたが、今回は、清朝統治末期の台湾社会がどのようにキ…

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    お祈りで目をつぶるのはなぜ? 山元 眞 【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&#…

    Q.お祈りする時になぜ目をつぶるのですか?(10代・女性)なぜでしょう。そのような「決まり」になっているからでしょう…

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    • 聖書に生きる366日

    3月13日「自分の声は対話の中で」

    どこでも、いつでも、祈りは応答のスピーチである。祈りとは、わたしたちが決して話しかけるスピーチではない。






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