4月2日「霊的な指導」

「霊的な指導」とは、按手(あんしゅ)を受けた教職者(牧師や司祭)の特権ではない。最も優れた「霊的な指導」は実に「友人」から受けることが出来る。「霊的な指導」ということで最も名の知れた幾人かは「信徒」であった。ただ、誰でも「霊的な指導」が出来るとか、また「霊的な指導」が時や場所も選ばないために、それは偶然にまた当たり前に出来ると思ってはいけない。神聖を追い求める歩みに没頭する人生があって、そこから生み出される日常の営みを通して初めて「霊的な指導」は可能になるのだ。

講演や説教の準備をし、病と死の痛みを分かち合い、誕生と結婚を祝い、企画を立てて実行し、ヴィジョンがふつふつと湧き上がってくる ―― そうした当たり前の事柄の中の一つひとつの中へと、等しく訓練された祈りを持ち込むこと。そして、その一つひとつを同じ深さで見つめ、理解すること。それが「霊的な指導」に求められる。誰もそこにスポットライトを当てることなどない、実に地味で日の目を見ない人生の一つひとつの局面と向き合い、祈りをもってそれを見つめ、スポットライトを当てること。それが「霊的な指導」のために必要なことである。当たり前の退屈で平穏無事な局面が人生にはある。そうした局面に向き合う時にも、大きな出来事として回心と証が立ち上がってくる人生の大局面と向き合う時と、同じ思いと技術と熱意を注ぎ込むこと。それが「霊的な指導」のために必要なのである。

互いに仲よくしていなさい。愛をもって互いに結び合いなさい。必要とされる時のために、食べ物や寝室を備えておきなさい。というのも、何人もの人々が、おもてなしの心を広げているうちに、それと知らずに天使たちをもてなしたのだから!
―― ヘブライ人への手紙13章1~2節

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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