祈り)天の神様、新しい目覚めをありがとうございます。
暑くてじめじめとした日が続いており体調を崩される方も少なくありません。
お一人おひとりの体調と共に心も神様あなたがお支え下さい。
私たちは様々なであいをあなたから与えられます。
時には歓迎できること、時にはとうてい受け入れることができないようなことにもであう事があります。
いつも心を神様に向けて、歓迎できるものも受け入れることができないことも、神様と共に受け入れることができると信じ歩む事ができますように。
これから語られますみことばこの語る者を通して、ここにおられるお一人おひとりへと神様あなたがお語り下さい。
この語る者のすべてを神様あなたへお委ね致します。
このお祈りを主イエスキリストのお名前を通してお祈り致します。
アーメン。
【参照聖書 イザヤ書53章11〜12節】
彼は自らの苦しみの実りを見それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために彼らの罪を自ら負った。(11節)
私は、いつも神様からのみことばを通して、こうして皆様お一人おひとりの魂と出会えますことを感謝しています。よく入院仲間に言われます「待っている人たちがいるからいいね」って。もちろんその方にも家族はおられ、その方が家に帰って来るのを待っておられると思います。一般的にいう家族ではなく、職場があるから羨ましいとその人は言っておられると思います。「ただいま」って言葉は自分の家に帰るとき、家にいる兄弟や親に言います。私たちは何回言ってきたでしょう。「ただいま」「お帰り」と言い合う関係は家族です。今、みことばに聴きながら礼拝を共に守っている私たちも家族なのではないでしょうか。
一人ひとりは皆、兄弟姉妹です。誰かがどこかで休めば心配したり、久しぶりにいらした方がおられれば喜んだりします。では、親は誰のことなんでしょう。それは神様です。でも、私たち一人ひとりが気づかずに犯してしまった悪い事など、人間ではどうしようもないことを「お父様ごめんなさい」と謝ってくださった方がおられます。
自分がわからないうちにやってしまうこと。人間である私たちには背負いきれないたくさんのことがあります。このままではすべての一人ひとりの親である神様に「ただいま」と言えません。そして神様からの「お帰り」が心に届きません。神様の家族として「ただいま」と言えるように、イエス様が代わりにすべての罪を負い、私たち一人ひとりが神様に心を向けられるように執り成して下さいます。
私たちはイエス様と共に歩んでいることをただ信じて歩むだけです。私たちにできること、それはイエス様の執り成しによってある今を感謝することなのです。