4月14日「自分のために残しておいた」

わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた。(ローマの信徒への手紙11章4節)

パウロは外国まで行って伝道した使徒であるが、その心はいつも同胞イスラエルの救いにあった。同胞の多くはキリストによる神の救いを拒み続けている。パウロは痛む思いで「神は御自分の民を退けられたのであろうか」(1節)と問うた。しかし、ついに彼は「決して、そうではない」という確信を得た。その第一の理由は、「わたしもイスラエル人であり」、かつては教会を迫害していた自分が救われたからである。パウロはこの事実を思い、神はイスラエルを見捨てたのではない、必ず救いに導いてくださるという確信を得た。

第二の理由は、列王記上19章によって神の言葉を与えられたからである。すなわち、預言者エリヤが、イスラエルの民は預言者たちを殺し、自分の命をもねらっていると神に訴えた時、神は今日の聖句をもってエリヤに答えられた
。バアルにひざまずかない7000人は、イスラエル民族のうちでは少数者であろう。しかし、パウロはこのみ言葉によって、「同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っている」(5節)という確信を与えられたのである。

日本においても、キリスト者は少数であり、多くの人々が福音に無関心である。「神は民を見捨てたのであろうか」とは、私たちキリスト者の問いでもある。しかし、神にも福音にも縁がなかった日本人の私が救われたのである。これはただ神の恵みである。同時に、神がバアルにひざまずかない者たちを恵みによって選んだのは「自分のため」(4節)とある。神はご自分のために、神の恵みを証しする私たちを先に救われたのである。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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