8月30日「失われたものを探して救うため」

今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。(ルカによる福音書19章9〜10節)

当時、徴税はローマからの請負制であった。ザアカイが徴税人の頭であり、金持ちだったのは、高い金額をふっかけて情け容赦なく徴税する凄腕であったということである。ユダヤ人は徴税人を罪人と呼んで軽蔑した。

ザアカイは主イエスがエリコを通ると聞き、どんな人か見たいと思った。しかし、背が低いために、群衆にさえぎられて見ることができなかった。彼はあきらめて帰らず、道端のいちじく桑の木に登った。彼の中に何かを求めてやまない心の渇きがあった主イエスはその場所に来ると、木の上に向かって、ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」(5節 口語訳)と声をかけた。彼は喜んで主を家に迎えた。しかし、これを見た人々は「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」とつぶやいた。あの人は神の人と思っていたが、罪人の仲間かと悪口を言った。主イエスは罪人の仲間と言われることを厭(いと)われない。主はザアカイの罪も、責めも、孤独も一緒に分かち合った。ザアカイは「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを4倍にして返します」(8節)と言った。今まで、不正をしてでも財産を増やすことだけ考えていた彼の心に、愛が芽生えた。ザアカイは主イエスと一緒にいることによって、罪人の自分に心を留めてくださる深い主の愛に触れた。今日の聖句は、ザアカイの言葉を聞いて語った主イエスの喜びの言葉である。

内藤淳一郎

内藤淳一郎

西南学院大学神学部卒業後、日本バプテスト連盟の教会で牧会、鹿児島大学哲学科のカトリックの神学の学びから、鹿児島ラ・サール高校でも教える。日本バプテスト連盟宣教室主事、日本バプテスト連盟常務理事を8年間務める。

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