【クリスチャンな日々】第11回 「バカ野郎」になっちゃいましょう  MARO

 

主の御名をあがめます。

MARO です。世の中がたいへんなことになってしまって、元気を失ってしまいがちな今日この頃ですが、神様は今日も明日も変わりません。今週もしばしお相手させていただきます。よろしくお願いします。

毎日毎日、状況がころころ変わって、刻一刻と新しい情報がやって来て……と、落ち着かない毎日を皆さんお過ごしかと思います。落ち着かないというか、疲れ果てたり、不安で押しつぶされそうになったりしている方もいらっしゃるかと思います。僕もふといろいろなことを考えすぎてしまって、気が沈みそうになることがあります。そんな時に思い出すのは聖書のこのことばです。

明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。(マタイ6:34、新改訳)

「明日やろうはバカ野郎」なんて言葉があります。それは確かに一理ある格言ですけれど、同時に自分を追いつめる言葉でもあります。僕の父は、特に僕が仕事で根をつめてしまっている時に、「明日できることは明日やればいい。今日はもう終わりにして、軽く飲みにでも行こう」と言ってくれていました。それでずいぶん気がラクになったりしたものです。

仕事の先行きが見えなくて不安だと、つい「今のうちに少しでもやれることをやっておかなきゃ」と自分を追いつめてしまいがちです。しかし、先が見えない時こそ、1日1日の「今日の仕事」を丁寧にして、「明日のことは明日やろう」という考えも大切なのかと思います。だって、先が見えない時には「明日の仕事」も予想がつきませんから。

それに、「明日のこと」が見えないからこそ、その明日が来た時に十分な元気を確保しておかなきゃいけません。「明日のこと」を考えることで疲弊してしまって、その時に動けなかったら本末転倒なわけです。「バカ野郎」だっていいじゃないですか。つらい時、しんどい時、ちょっと「バカ野郎」になっちゃいましょうよ。

先のことを考えすぎると疲れますし、ストレスも増えます。「明日のこと」を考えるというのは人間にだけ与えられた能力です。神様は必要だからこそ、その能力を人間に与えたのでしょうけれど、しかしこれは高等な能力なので、使うにはかなり心のエネルギーを消費します。ですから、それを控えるだけでも、ずいぶん心はラクになるんじゃないかと思います。

昔読んだある本にこんなことが書いてありました。「人間は頭が良すぎるから、先のことを考えてしまう。でも、もう少しバカになって、今日のことだけを考えるようにしたほうが幸せにはなりやすい」

確かに、「明日のこと」をまったく考えずに今の世の中を生きることは無理かもしれません。しかし不安というのは、「明日のこと」を予想するから生じるものです。ですから、不安が大きすぎて潰(つぶ)されてしまいそうな時は、「明日のこと」をいったんお休みすればいいんです。それが手っ取り早い不安解消法です。

今の世の中、「いつまでなんだ」と問いたくなることが多いと思います。しかし、誰もその「いつまで」を答えることはできませんから、問えば問うほど気が遠くなってしまいます。でも、必ずその「いつか」はやって来ます。「今日1日」「今日1日」を丁寧に重ねていけば、必ずやって来ます。それは聖書が保証しています。

苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み……この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
(ローマ5:3〜5、同)

「安心」はまだ目には見えないかもしれません。でも、このように神様が約束してくださっています。ですから、その約束をしっかり胸に留めつつ、1日1日を丁寧に生きたいと思います。「不安」という重荷はイエス様に代わりに背負ってもらえばいいんです。

こんな時だからこそ、ちょっとでも、多少無理にでも笑顔を増やしてまいりましょ。不安になったら、「イエス様、この不安、任せます !!」と押しつけて、口角をあげてしまいましょう。それだけできっとラクになります。

それではまたいずれ。主にありて。MARO でした。

 






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