居眠りするのはそこが「安全地帯」だから【聖書からよもやま話630】

主の御名をあがめます。
皆様いかがおすごしでしょうか。MAROです。

本日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

聖書のランダムに選ばれた章から思い浮かんだよもやま話をしようという【聖書からよもやま話】、今日は新約聖書、使徒の働きの20章です。よろしくどうぞ。

使徒の働き 20章9節

ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くのでひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。抱き起こしてみると、もう死んでいた。(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

冗談のような話ですが、こんな話がこんなにも明らかに聖書に記されているんです。校長先生の長い話とか、結婚式なんかのどこかのエラいおじさんの長い挨拶だとか、それにもちろんクリスチャンの方なら各々の教会の牧師さんの長い説教だとか、色々と思いあたることがあるエピソードだと思います。

僕の通う教会の牧師は「説教は毛穴から入るんだから寝てても構わない!」と堂々と宣言してしまうような人なので、お言葉に甘えて僕もときどき寝ています。どうして説教を聴きながらのうたた寝はあんなにも気持ちいいのでしょう。

高校時代、古文の先生が能楽観劇の引率をしてくださったのですが、その先生が能が演じられている間、ずっと寝ていました。あとから「先生、寝てたじゃないですかー」と僕らが茶化すと、先生は「演じられている最中に気持ちよく寝られるというのは、それが良い能である証拠なのだ。出来の悪い能であったらこんな風に寝られたものじゃないのだ。だからこれも一つの立派な能の鑑賞法なのだ」と言いました。あまりに堂々と言うので、僕らも圧倒されてなんとなく納得してしまいました。

でも考えてみれば確かに、人は不快な話を聴きながらは、そうそう眠れるものではありません。退屈な話では寝ますが、退屈というのは「快でもないけど不快でもない」という状態ですから、少なくとも不快ではないということなのでしょう。

人が寝るということは、基本的にはそこを安全な場所であると認識しているということです。ですから礼拝の説教で寝るというのは、礼拝の場を「安全地帯」と認識しているということで、必ずしも悪いことではないのかもしれません。なんなら「信仰への第一歩」と言っても過言ではないかもしれません。・・・いや、さすがに過言か。

ちなみに、このユテコさん、この後無事に生き返ってことなきを得ています。そして彼の周りの人たちはこの奇跡によって大いに慰められ、信仰を深めたんだそうです。きっとユテコさん自身も信仰を新たにしたことでしょう。居眠りから始まる奇跡もある。居眠りが育む信仰もある。

・・・なんだか居眠りを無理矢理に肯定するようなコラムになってしまいましたが。でも、少なくとも聖書の中にも説教中に居眠りをしてしまった人がいて、その人もちゃんと祝福されているという事実は、ついつい睡魔に負けてしまう僕たちにとって大きな慰めですよね。居眠りの誘惑に勝てないような弱い僕たちでも、神様はちゃんと祝福してくださるんです。

それではまた次回。
主にありて。

MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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