昔の王様はなかなか「生前退位」はしません【聖書からよもやま話98】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、歴代誌第一の23章です。それではよろしくどうぞ。


◆歴代誌第一 23章1節

ダビデは日を重ねて年老い、その子ソロモンをイスラエルの王とした。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


この部分だけ読むと「ダビデ王は生前退位したのかー」と思ってしまうかもしれませんが、これはダビデがソロモンを後継者として指名したという意味です。イスラエルの王たちはだいたいみんな死ぬまで王でありました。「生前退位」とか「譲位」というのは現代までの長い歴史を見てもどちらかと言えば例外的なことであり、君主制では王は死ぬまで王であるのが原則です。日本の歴史では天皇が早々に譲位して院政を敷くことも多かったりしましたが、西洋文化ではそれはあまり見られません。

ダビデの晩年は、四男でありながら存命の子としては長子であったアドニアと、不倫の子であるソロモンが後継者争いをしていました。ダビデは以前から後継者はソロモンであると宣言していましたが、それが気にいらないアドニアは「正統な血筋は僕にあるじゃないか!」と兵を挙げて実権を掌握しようとしました。祭司や幹部たちも多くがアドニアにつきました。このままでは国が分裂してしまいます。そこでダビデはあらためて「後継者はソロモンである」と宣言し直さなければならなかったんです。古今東西、長子以外の子を後継者とするのは揉める原因になりがちです。たとえ本人たちが納得していたとしても家臣たちが派閥に分かれてしまったりもしますから。それで結局、ダビデの死後までアドニアとソロモンの争いは続き、最終的にソロモンがアドニアを殺すまで続きました。

乱世の後継者争いって大変ですよね。・・・って、人ごとのように語ってはいけません。現代だって誰かが亡くなったあとの相続争いはなかなか大変なことになることが少なくありません。「うちは相続するような財産がないから大丈夫」と思っていても、意外と相続財産が少ない方が揉めやすかったりもします。その争いがもとで絶縁状態になってしまう兄弟・親族も少なくありませんから、争いを避けるためにきちんとした遺言を残しておくことは親が子にできる最後の気遣いと言えるかもしれません。とはいえそれでも遺言の解釈だとか、遺言自体に納得がいかないとかで揉めるときは揉めるんですけれど。

日本の皇室ではこれまで125回の皇位継承のうち59回が、天皇の生前に譲位という形で行われています。これは生きているうちに明確に後継者を確定して争いを防ぐためという意味があるようです。皇室でなくても、いわゆる「隠居」というシステムはこれと同じような意味があります。

いずれにせよ、ダビデやソロモンの時代から約3000年。人間って変わらないものですね。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
遺言書の日付を「○月吉日」なんて書いてしまうと、その遺言書は無効になります。ちゃんと「○○年○月○日」と明確な日付を書かないといけません。遺言書の正しい書き方はお近くの弁護士、司法書士、行政書士の方にお問い合わせください。

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