「いい人」も悪いことをしたら「悪い人」になりますが【聖書からよもやま話97】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、エゼキエル書の33章です。それではよろしくどうぞ。


◆エゼキエル書 33章12節

正しい人の正しさも、その人が背いたときには、それが彼を救うことはない。悪しき者も、その者がその悪から立ち返るときには、その悪につまずき倒れることはない。正しい人でも、罪ある者となるとき、自分の正しさによって生きることはできない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


ずっと「いい人だなぁー」と思っていた人が、一度でも悪いことをすると、「あ、この人って悪い人だったんだ、がっかり」なんて思ってしまいます。週刊誌とかテレビのワイドショーを見ていると、そんなことは多々あります。どんなに「いい人」でも、たった一度の悪事で「悪い人」になってしまいます。

聖書は、その反対のことも、また起こるのだと言っています。つまり、ずっと長いこと「悪い人」だった人でも、いいことをするなら、そのいいことが過去の悪いことによって打ち消されることはないということです。

僕たちは、それまで「悪い人」だった人が、ちょっといいことをしても「こいつは今までずっと悪いことをしてきたんだから、ちょっといいことをしたくらいで評価は変わらないよ」と思ってしまいます。「いい人」が一度悪いことをしたらすぐにその人の評価を「悪い人」に変えるのに、「悪い人」が一度いいことをしてもその人の評価を「いい人」にはなかなかしないものです。

でも聖書は、神様は、「大切なのは今であって、今正しいなら過去に悪くても関係ないし、反対に今悪いなら過去に正しくても関係ない」と言うんです。悪いことをしたときに「私は今までずっと正しかったんだからゆるしてください」と言ってもダメだということです。反対に、いいことをするならば「こいつは今までずっと悪かったんだから、そんなことは無駄だ」なんて、誰にも言われなくて良いのだ、ということでもあります。

ヒール(悪役)レスラーがベビーフェイス(善玉)に転向(ベビーターン)したら、過去の「悪事」は関係なく、お客さんはみんなそのレスラーをベビーフェイスとして認識します。ベビーフェイスがヒールに転向(ヒールターン)したら、過去の「善事」は関係なく、お客さんはそのレスラーにブーイングを浴びせます。

聖書の中にだって、パウロという、とんでもなく劇的なベビーターンを果たした人がいますもんね。パウロの過去の「悪事」がずっと後まで問われるのだとしたら、パウロは宣教できなかったでしょうし、そうしたら新約聖書の半分くらいは書かれなかったことでしょう。

神様の厳しさと優しさが共存していることばです。日々、毎日、1日1日、過去に囚われず「今」をよく生きることが大切なんですね。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
クリスマスは英語で書くと「Christmas」これは「Christ(キリスト) + Mas(礼拝)」という意味です。


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