人を傷つけるのはナイフではなく、それを使う人です【聖書からよもやま話99】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、コロサイ人への手紙の3章です。それではよろしくどうぞ。


◆コロサイ人への手紙 3章8節

しかし今は、これらすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、ののしり、あなたがたの口からでる恥ずべきことばを捨てなさい。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

このことばを読んで「そうだよね、マスコミやインターネットには悪い言葉が溢れているよね。よくないよね!」と思うのは簡単です。でも本当に悪いのはマスコミやインターネットなんでしょうか。

確かに現代社会では、SNS、ニュースサイトのコメント欄、テレビ番組の評論、至る所に「怒り、憤り、悪意、ののしり」が溢れています。インターネットが普及する前は、物理的に自分の近くにいる相手以外には、これを表に出すことは難しいことでした。テレビやラジオなどのマスメディアが普及する前ならなおのことです。僕たちは今、すごく手軽に、気軽に、世界中の人に向けて「怒り、憤り、悪意、ののしり」を表明することができます。そして僕たちは毎日、嫌と言うほどそんな情報にさらされて生きています。

しかし、世界中の人に向けて手軽に気軽に意見を表明することができるようになったこと自体は悪いことではありません。良い情報、良い意見、良い感情をみんなで共有できるという点では、こんなに恵まれた時代も他にないわけです。しかし一方で、そのツールを悪い情報、悪い意見、悪い感情を共有するように用いてしまえば、こんなにパサパサして苦しい時代も他にありません。そして、今の世を見ていると、残念ながら「悪い情報」を共有してしまうことの弊害が、あちこちに出てきてしまっているように見えます。

これを「インターネット、SNSの弊害」と呼ぶ人もいます。しかしインターネットやSNS自体は悪いものではありません。ナイフだって料理に使えば良いものですが、人を傷つけるのに使えば悪いです。ナイフ自体は良くも悪くもなく、良かったり悪かったりするのは、それを使う人間です。インターネットもSNSも、良かったり悪かったりするのはそれを使う人間です。「ナイフは人を傷つけるものだから禁止しよう」なんて政治家が言い出したら、みんな料理ができなくなって困ります。

ナイフが人を傷つけるのも、インターネットが人を傷つけるのも、どちらもいわば「人間の弊害」です。それを「自分は悪くない。悪いのはナイフだ。悪いのはインターネットだ」と主張して自己弁護するのはおかしなことです。

世に「怒り、憤り、悪意、ののしり」が溢れているのは、本質的には、インターネットが悪いのでも、マスコミが悪いのでもありません。僕たち一人一人が持っている「怒り、憤り、悪意、ののしり」にこそ原因があるんです。神様は僕たち一人一人がそんなものを捨て去ることを望んでいます。

しかし、分かっていてもいつの間にやら心の中に潜んでいるのが「怒り、憤り、悪意、ののしり」の恐ろしいところです。ええ、僕の中にもたっぷりありますし、それをつい口にしてしまうことだってあります。わかっていても抱いてしまう。それが罪の恐ろしさです。でも、僕たちは必ずしも自分自身で自分の罪を排除する必要はありません。自分で排除できない時は、「神様、排除してください」と祈ることができますし、その祈りはやがて必ず成就して、いつか僕たちは神様の望む姿になるということが約束されているんです。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
大半の亀は、裏返しにされても自力で起き上がれます。

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