あなたのそのことばは誰かをハッピーにしていますか【聖書からよもやま話104】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、エペソ人への手紙の4章です。それではよろしくどうぞ。


◆エペソ人への手紙 4章29節

悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)


「毒舌キャラ」なんてのが、世には流行したりしています。毒舌自体は悪いこととは限りません。しかし、不用意な毒舌は「悪いことば」に陥りやすいものです。毒舌だって、世論に深く切り込んだ、含蓄のあるものあります。それが人の成長に役立つことだってきっとあるでしょう。たとえば立川談志さんとか、毒蝮三太夫さんとか、綾小路きみまろさんの毒舌を僕は必ずしも「悪いことば」とは思いません。しかし、「僕は毒舌キャラだからー」とか自称して、誰の成長の役にも立たない、ただの悪口を放言する人も、世にはいます。

昔チラッとみた何かのドラマで、「そんなことを言って誰がハッピーになるんだ!」というセリフがありました。これを聞いて僕はハッとしました。誰もハッピーにならない言葉は、意味がないし、言うべきではないと。そしてこのセリフが、この聖句と繋がりました。

悪いことばというのは、誰もハッピーにならないことばです。せめて最低限、それを言う自分自身だけでもハッピーになるのなら、良いと思います。たとえば愚痴なんかです。愚痴は多くの場合は、聞かされる人はハッピーではありませんが、それで吐き出す人が少しでもスッキリするなら、それはそれで十分な意味があるのだと思います。

しかし、実は世の中には、それを発する本人自身も少しも幸せにならない、もちろんそれを受け止める側もまったく幸せにならないことばが多くあふれています。そんな言葉は、言う価値がないですし、聖書には「いっさい口から出してはいけません」と書かれているんです。

悪口、下品な冗談、いい加減な噂話・・・そんな「誰もハッピーにならない」言葉が、今の世には多すぎると思います。なんならそれをテレビとかラジオとかで何千万の人に垂れ流してしまったりする、これはよくないことだと思います。

とはいえ、悪口も下品な冗談も噂話も、扱いようによっては人をハッピーにしたり、何かを風刺して啓蒙したり、そんなこともありますから、必ずしもすべてやめろと言うわけではありません。ただ、特にそんなことを言うときには「この一言が誰をハッピーにするのか、誰を不幸にするのか」それをしっかり意識する必要があると思います。それを意識できずにただ放言するのなら、それはただの「悪いことば」であって、一切口にすべきではりません。まして、誰かへの敵意や悪意だけで、対象を傷つける目的だけのことばなら、それはなおのこと、一切口にすべきではありません。

一言で言うならば「そのことばに愛はあるのか?」です。どんな言葉でもそうですが、一見、毒舌や放言に見えることばを発するときには、特に気をつけなければいけないのだと思います。

それではまた。
主にありて。
MAROでした。

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