若松英輔オンライン特別講演会開催 コロナ危機の時代 聖書をどう読むか、声にならない「うめき」こそ後世の遺産

批評家で随筆家の若松英輔氏によるオンライン特別講演会が11月28日、インターネット会議ツール「Zoom」を使って開催された。待降節(アドヴェント)第一主日の夕べに合わせて、日本聖書協会(東京都千代田区、総主事:具志堅聖)が開いたもので、定員500人の申し込みがあった。

若松英輔氏。(Zoomにて撮影)

若松氏は、1968年生まれ、慶應義塾大学文学部仏文科卒業。 2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞、以後数々の文学賞を受賞し、批評家・ 随筆家として活躍する一方で、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授として教育にも携わっている。著書に、『イエス伝』(中央公論新社)、『悲しみの秘義』(ナナロク社/文春文庫)、『詩集 燃える水滴』、『いのちの巡礼者 教皇フランシスコの祈り』、『魂にふれる 大震災と、生きている死者(増補新版』(以上、亜紀書房)、『霧の彼方 須賀敦子』(集英社)ほか多数。

講演タイトルは、「愛とうめきと沈黙と 危機の時代に読む『聖書』」。若松氏が長きにわたって愛読している「フランシスコ会訳聖書」(フランシスコ会聖書研究所)から、旧約聖書の詩編やエゼキエル書、新約聖書のパウロの手紙のいくつかを紐解きながら、コロナ危機の時代に光を見出す扉となる言葉を、「うめき」を手掛かりに探った。聖書以外にも、デートリッヒ・ボンヘッファー、越知保夫、セーレン・キェルケゴール、十字架のヨハネの言葉にも言及した。

若松氏は、うめきや、すすり泣きこそが神が求めている本当の祈りであり、たとえ祈ることができない危機にあっても、神は私たちの傍を離れることはないと、詩編の言葉を引用しながら語った。その一方で、聖書の中には苦しみや悲しみでつながる人たちがたくさん登場し、歴史の奥に自分の友を見出すことができると伝え、「特に詩編を読むと、『こんなところに私がいる』と思うのではないか」と話した。

また、普通ならば、自分が成功したことや、人に誇るべきことを書き記し、後世に残そうとするが、聖書の世界観は違っていることを次のように伝えた。

後世に残せる最も大切なことは、うめきと嘆きであることを詩編は教えてくれます。声にならない者のうめきこそ、後世の遺産だというのです。これこそがユダヤ教の叡智で、キリスト教はこのユダヤ教の叡智の上に花開き、今もそれと深く繋がっているのです。

次に紹介したのは、コリントの人々への第2の手紙12章9-10節と、ローマの人々への手紙1章16節。コロナ禍の中では、多くの人たちがしっかりしなければ、強くならなければと考えているが、パウロは、大変なときにこそ自分の弱さを誇ると言っている。ここでパウロは、弱さこそが、神と自分とを繋いでくれる確かな橋であることを告げていると指摘し、このことはコロナ危機の時代にとても大事なことだと語った。

続いて、ドイツ人の牧師で、ヒトラー暗殺計画に加担したことで処刑されたボンヘッファーの著書『キリストに従う』に出てくる「安価な恵み」と「高価な恵み」をとおして、こう語りかける。

神の高価な恵みは、すでに私たちの人生の畑に与えられていて、苦しみにうめきながらでも自分の中に見出すことできる。私たちにとって大きな恵みは「安心して苦しめ」ということだと思います。私たちは、苦しみを通じてでしか理解できないことがあります。苦しみを通じてしか繋がれない他者がいます。だから私たちは、苦しみを生き抜くということも神に祈ってもよいのです。それは、苦しみという試練の中に、隠された宝があるということではないでしょうか。

さらに、若松氏に大きな影響を与えた越知保夫と、デンマークの思想家・キェルケゴールも取り上げ、隣人とは誰なのかを探った。「ドアを開けて、最初に出会った人があなたの隣人である」というキェルケゴールの言葉から、隣人は選ぶことができないことを伝え、神の前において等しいものは、あなたにとっての隣人なのだと述べた。

最後に、16世紀のスペインのカトリック司祭で、1726年にベネディクトゥス13世によって列聖された、十字架の聖ヨハネが著した『カルメル山登攀』の言葉をとおして、人間の無知と神の英知について話した。「神の英知と結びつくに至るためには、『知』よりも、むしろ『不知』の道を通ってゆかなければいけない」という十字架のヨハネの言葉に目を止めながら、次のように締めくくった。

「不知」というのは「知らず」ではなく、「知を超えていく」ということです。私たちは学校などで、より多くの知識を得ることを求められてきたわけですが、十字架のヨハネが言う「知」は、それとは全然違う知のあり方です。それは深く知ることであり、誰かとつながり、神に包まれる知のあり方です。コロナ禍にあって私たちは、頭を働かせて、頭で理解することで、この危機を乗り越えようとしていますが、十字架のヨハネは、知を超えた時にこそ生き抜くことができるのだと言うのです。

 

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