主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにおこしいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 新約聖書、ローマ人への手紙の4章です。それではよろしくどうぞ。
◆ローマ人への手紙 4章18節
彼は望み得ない時に望みを抱いて信じ、「あなたの子孫は、このようになる」と言われていたとおり、多くの国民の父となりました。彼は、およそ百歳になり、自分のからだがすでに死んだも同然であること、またサラの胎が死んでいることを認めても、その信仰は弱まりませんでした。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
アブラハムは、神様の約束をとことんまで信じました。だからこそ「信仰の父」と呼ばれるんです。「君たちの子孫はものすごく繁栄するよ」と神様に約束されて、しかしアブラハムとサラの夫婦は、子どもができないまま、いつの間にやらアブラハムは100歳、サラは90歳を迎えてしまいました。
普通の人なら、ここで諦めてしまいます。「神様はああ言ってくださったけど、さすがにもう無理だろ」と。しかしアブラハムは信じ続けました。そして本当に子どもをさずかり、そこから彼の子孫は繁栄しました。
これが「望み得ない時に望みを抱いて信じ」ということです。神様が約束してくださったことを、人間の常識や、まして自分に見えるものだけで「これはもう無理だろ」と諦めてはいけないということです。
「諦めたらそこで試合終了だよ」ってセリフが何かのマンガでありましたが、「あきめたらそこで祈り終了だよ」と、クリスチャンは胸に刻んでおくべきかもしれません。人間の常識から見たら「もう奇跡が起きたってさすがに無理」な状況な時こそ、奇跡の本領発揮であり、信仰の正念場です。そんな時こそ、神様の本気の恵みを見られるチャンスです。
ピンチな時こそ「よっしゃ、今こそ奇跡観測のチャンス!」と喜ぶくらいで良いのかもしれません。奇跡は「もう無理」な状況でしか起こらないのですから、「まだありえるよね」くらいの状況でそれが起こっても、それは奇跡とは呼ばないんですから。もっと言えば、人が「こんな奇跡が起こったらいいな」と思えるくらいのものは、本当の奇跡ではありません。人が思いもしないような奇跡が起こってこそ、本当の奇跡なんです。
どうにもならないピンチの時こそ、思いもよらない奇跡が起こるかもしれません。だから最後まで祈り続けたいと思います。
それではまた。
主にありて。
MAROでした。
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MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。