9月15日「リアリティーの主軸」

 クリスチャンとノンクリスチャンの主な違いは、クリスチャンは神を真剣に受け止めるが、ノンクリスチャンはそう考えない。わたしたちクリスチャンは神が全ての存在の中心的なリアリティーであると真摯に信じる。わたしたちクリスチャンは神がどういうお方なのか、神は何を為すかを本当に注視する。わたしたちは事実として、他のリアリティーではなく、そのリアリティーに応える形で自分たちの人生を秩序づける。神に注視するとはどういうことなのだろうか。それは、神の働きがリアルなものとなっていく過程に参与することである。

 神は生きて働き給う。神の御業は聖書に明確に記載されている。それで、わたしたちは「創造された世界の枠組み」「贖罪(しょくざい)という働き」「助け、共感することの実例」「慰め、救うというパラダイム」を持つのである。

 パウロの手紙の最後はすべて、神の御業に参与するようにと、わたしたちを促す一連の命令で締めくくられる。神の御業からクリスチャンの行為は自然に生まれ、必ず広がり、信仰が展開する。このことを、パウロは一つひとつの手紙すべてで示している。たとえば、誰かを呪うことは、神の御業とは無関係に起こる行為である。だからそれらは、馬鹿げた行為、価値のない行為、実りがない行為となる。
 

備えなさい。あなたがたの戦いは、とてもあなたの手に負えるものではありません。可能な限り全ての助けを借りなさい。神が作り出す全ての武器を取りなさい。全てが終わってしまい、ただ叫びが響き渡る、そのような時でも、あなたたちは立ち続けることが出来るように。
 ―― エフェソの信徒への手紙6章10~11節

 

*引用される「聖書の言葉」はピーターソンさんの翻訳・翻案を訳したものです。

63db463dfd12d154ca717564出典:ユージン・H.ピーターソン『聖書に生きる366日 一日一章』(ヨベル)
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