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多くのルーテル教会では、11月1日の全聖徒の日の後に来る日曜日に「全聖徒主日」を守っていると思うが、私たちの教会では教会暦最終主日に「召天者記念式」を行っている。手前味噌だが、この選択はベストだと思う。何故なら、教会暦の最後と人間の地上生活の終わり、新たな一年に繋がる日と新しい生命の門出と重なるからである。私たち市川教会の群れに直接あるいは間接に関わってくださった先達たちを記憶し直すことによって、今を生きる私たちの信仰が深まり強められると強く思う。
話しは変わって私事だが、牧師としての歩みに深く影響を与えられた三人の先輩牧師がいる。受洗に際しお世話になったというか受け入れてくださったのがU牧師。幅広い知識と決して批判しない姿勢に、多くの青年たちが慕って教会に来ていた。もちろん私もその一人で、あるがままに受け入れてもらい、接するたびに心地よさを覚える牧師であった。どのような状況に在っても「牧師であること」を学ばせてもらった。
上京、そして神学校の数年、絶えず気にかけてくださったのが、市川教会の前々任のK牧師。ガリ版印刷の時代で、会議の間も原紙に鉄筆で原稿を書いておられた姿は今も鮮明に思い出す。社会に目を向け、キリスト者として何ができるかをいつも考え実行しておられた。牧師とて社会の一員、時代の中で語るべきことを常に意識するようになったのもK牧師の影響があると思っている。
神学生の最終学年にお世話になったのが東京教会のT牧師。私の出身教会の大先輩ということもあったからかもしれないが、孫のように可愛がってもらった。弁護士であったお父様が危篤になった時、たまたま会議で近くに来ていたので立ち寄った際、「教会に戻りなさい」と厳しく言われたと思い出を話してくださった。私の初任地が決まる際、人事公平委員であったT先生は「困難な状況に新卒を送るのは絶対反対だと主張したけどダメだった。すまない」と私に頭を下げられた。ご自分の苦労を若い牧師にさせまいとしてくださった暖かさに触れつつ、牧師として生きる厳しさを心に刻ませて貰った。
そうそう、私たちの結婚式は、U牧師夫妻が証人、K牧師が司式、T牧師が説教をそれぞれに引き受けてくださった。私の牧師としての生き方・在り方は、今は亡き三人の先輩牧師が歩いてこられた道を辿ることだったのだと改めて心に刻みたい。
会堂聖壇に「わたしたちの本国は天にあります。」(フィリピ3:20)の聖句がいつも掲げてある。だから安心して今を生きなさいという神の御声が、今年の召天者記念式を通して集われた方々に届きますように!そして式を終えたら、さぁ、クリスマスだ!!