祈り上手より、祈られ上手 上林順一郎 【夕暮れに、なお光あり】

月曜日の朝、先輩牧師が突然教会を訪ねてきて牧師室の椅子に座るなり、「君のために祈るよ」と言って祈り始めました。実は、前日の日曜日、教会の総会があり議事を巡って大荒れとなりました。議長でありながら議場をうまくさばくことができず、教会員の対立と寒々しい空気だけが残った総会でした。

先輩牧師の連れ合いは教会員であり、総会に出席していました。家に帰って総会の様子を話したのでしょう。それで翌朝、私のためにお祈りをするためにわざわざ教会に来られたのでした。私の苦境と苦悩を思ってのことだったのでしょう。その間、私は黙ったまま祈られていました。

牧師として長年祈ることを求められてきました。死を前にしての祈り、病床の祈り、家族間の諍いをなだめる祈り、誕生の祝福の祈り、進学や就職のための祈り、結婚の祈り、思えば牧師の働きの多くは祈ることであり、祈ることを求められる日々でした。しかし、自分のために祈ってくださいと、口にしたことはほとんどありませんでした。

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「私が人々のために神に祈る、それは当然のことだ。しかし、私のために、つまり自分事のために他人に祈りを依頼することは、差し出がましいという思いであった。この理由のもっとも突き詰めたところを白状するならば、その真相は自分の弱さをさらしたくないからだろう。とりなしの祈りには、愛がある。だから、とりなしの祈りを他人に頼まないのは、その相手の私への愛や友情を、初めから疑っているか、拒否しているということになるだろう」。重い病の中にあった同級生の牧師を病院に訪ねた時、彼が後悔を込めて語った言葉です。別れ際に「祈り上手より、祈られ上手になれよ」。彼から聞いた最後の言葉となりました。

総会後の月曜の朝、虚脱状態のようになっていた私のために長い祈りをささげてくださった先輩牧師の祈りに身をゆだねている間、夜の闇の中で怒りと悔しさと無力感とで心の中を吹き荒れていた嵐が次第に収まってくるのを感じていました。

パウロは手紙の中で「兄弟たち、私たちのために祈ってください」と、繰り返し書きます。パウロもまた諸教会や信徒たちとの対立や敵意や分裂の危機に直面し、悩み苦しむ日々だったのでしょう。「日々私に押し寄せる厄介事、すべての教会への心遣いがあります」(コリントの信徒への手紙二11章28節)。だから「私たちのために祈ってください」と、頼んでいるのです。

残り少なくなった人生、「祈り上手より、祈られ上手」にと、祈っています。

 

かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』『ふり返れば、そこにイエス』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

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