学校で求められるムスリムへの対応 小村明子 【宗教リテラシー向上委員会】

以前、大学の公開講座で学校教育におけるムスリム子弟への対応について、日本人ムスリムの保護者から直接学ぶ機会があった。ムスリムの保護者から学校への要望としては、例えば1日5回義務づけられた礼拝の可否、給食はお弁当持参で対応、水泳の時間は休みにさせる、美術の時間に人物や動物の絵を描かせないように教師から指導してもらう、などが挙げられる。

当事者から学校側の対応について何が問題なのかをうかがうことは、非常にためになることもあって、これから教師になる学生のみならず複数名の学校教育関係者も聴講していた。その時、教員のムスリム対応について疑問を感じることがあった。それは、学校教育の現場で常にさまざまな問題に直面する教員には、ムスリム子弟の抱える問題と、他に配慮が必要な生徒が抱える問題と、何がどう違うのかが見分けがつかなかったことである。

ムスリムの保護者による要望について、説明に不足があったことも考慮しなければならないが、事実、他の問題で配慮が必要な生徒と何がどのように違うのか、という教師からの発言があった。その発言からも学校現場におけるムスリム対応の現状をうかがい知ることができる。では、そもそもなぜ他の課題と同様に考えるのだろうか。主に二つの要因に分けることができるだろう。一つは、学校教育の現状に関わることであり、もう一つはムスリムたちの学校への要望に関するものである。

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最初の理由については簡単である。学校の教師が、あまりにも多くの業務に忙殺されることは報道でも伝え知るところである。その膨大な業務ゆえに、特定の課題を個別に認識することに割く時間がない。学校教育現場に対するムスリムの要望をまとめてマニュアル化すれば良いのではないかという意見もあるだろう。それは配慮の指針にはなる。現に、ムスリムが多く居住している地域の学校ではそうしたマニュアルも存在している。だが、マニュアル通りに対応すれば良いとは言い切れない現状がある。

あえて言えば、信徒が自らの言動に規制を課すのは、それが宗教教義として規定されているからである。だが、信徒全員が宗教教義を厳格に守っていると言えるのだろうか。信徒が10人いれば10人それぞれ信仰の度合いは異なる。すなわち、信仰について理解できる年齢や信徒の置かれている社会環境など、さまざまな要因で信仰に温度差が見られるのである。概して、ムスリムの子どもたちの宗教教義の実践はムスリムの親の信仰心によるところが大きい。子どもたちへの教育方針のみならず、学校現場に対する要望もまた親の信仰心にしたがって左右される。

こうした要望は往々にして人権的配慮としてなされているものであり、教育現場における宗教の多様性への対応としてなされているものでは必ずしも言えない。

もし冒頭に記したムスリムの保護者が宗教の多様性として学校側に配慮を依頼しているのであれば、学校現場の教員とムスリムの保護者との間で齟齬があっても致し方のないことであろう。すなわち、1人の人間として有する権利や自由を尊重する視点からムスリムの依頼に対応しているのであって、イスラームという宗教を理解して学校内での宗教実践を認めているわけではない。

もしムスリムが宗教の多様性を学校に求めるのであれば、学校の理念のみならず、学校現場の教員の置かれている現状や学校側のイスラームに対する理解を考慮して要望を出さねば、両者が歩み寄るばかりか、認識のずれはますます広がるばかりであると言えよう。

小村明子(立教大学講師、奈良教育大学国際交流留学センター特任講師)
 こむら・あきこ 東京都生まれ。日本のイスラームおよびムスリムを20年以上にわたり研究。現在は、地域振興と異文化理解についてフィールドワークを行っている。博士(地域研究)。著書に、『日本とイスラームが出会うとき――その歴史と可能性』(現代書館)、『日本のイスラーム』(朝日新聞出版)がある。

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