10月20日 ガラテヤの信徒への手紙3章27節

あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
ガラテヤの信徒への手紙3章27節(参照箇所同書3:26〜29)

 

信仰を持ったからといって、他人と比べて少々ましな人間になったというわけではありません。

しかしパウロは、「信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです」と言います。キリストは神の子と言われますが、そのキリストを通して、肉において今までのわたしとそれほど変っていないのに、わたしたちも神の子であることが許されているのです。新しい質への転換が起っているということです。

パウロは、このことを言うのに洗礼を持ち出しました。洗礼は単なる儀式ではありません。もし洗礼が儀式であれば、わたしは神の子になりましたと自己認識をすればよいのです。しかし洗礼は自己認識を与える儀式ではありません。洗礼は神の恵みの手段として設定されたものです。洗礼によって、神の子となる質への転換が、この肉なるわたしに出来事として起るとパウロは言っているのです。肉においては相変わらずのわたしがいます。にもかかわらず、神の子とされるのです。だからキリストを着たとパウロは言うのです。キリストを着た以上は、もはや新しいわたしがいるのです。それが神の子とされたわたしなのです。

 






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