勝手に「神様がついてるから大丈夫」と言っていませんか?【聖書からよもやま話222】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、    士師記の18章です。それではよろしくどうぞ。

◆士師記 18章6節

その祭司は彼らに言った。「安心して行きなさい。あなたがたのしている旅は、主がお認めになっています。」(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

ある人たちが旅をしていました。そこで祭司にあったので、彼らは尋ねました。「私たちの旅が成功するかどうか、神様に聞いてください」。祭司は答えました。「この旅は神様が認めているものですから大丈夫ですよ、うまくいきます!」と。

と、これが今日の箇所の簡単なストーリーなのですが、ここには大きな問題があります。ここに出てくる「祭司」ですが、この人はちゃんとした祭司ではなく、まぁ簡単にいえばエセ祭司なんですね。ですからこの人には神様に何かを尋ねる権限もなければ、人に神様のメッセージを伝える権限もないんです。それなのに、調子良く「この旅は神様が認めてますから、うまく行きますよ!」なんて言ってしまっているんです。

そして、尋ねる方も尋ねる方で、彼らもその「祭司」がちゃんとした祭司ではないことを知っていました。知っているくせに、わざわざ自分たちが少しでも安心したいがために、無責任に尋ねたんです。ですからここには、尋ねる方にも答える方にも問題があったことになります。
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現代でも、たとえば占いだとかに、自分の都合のいい答えを聞きたくて出かける方もいますよね。まぁ占いというのはそういうものですから、ある程度は仕方ないとして、もっと問題なのはクリスチャンが、自分たちのやっていることを勝手に「これは神様が望んでいることだからきっと守られてうまくいくよ」なんて言ってしまうことです。これは一体、何の権限によってそんなことを言えるのでしょう。もちろん、本当に神様の御心が僕たちに示されることだってあります。が、時としてクリスチャンはあまりにも気軽に、しかも勝手に「これは神様の御心だから・・・」と、もしかしたら本当は自分の計画や希望に過ぎないものに「神様のお墨付き」を与えてしまってはいないでしょうか。誰かに相談を受けて、無責任に「神様が守ってくださるからうまくいくよ」なんて言ってしまってはいないでしょうか。

きっとそんなことを言ってしまうとき、僕たちには何の悪気もありません。ただ純粋に相手を励ましたくて、深く考えずに言ってしまっていることだと思います。でもそれはここに出てくる「祭司」だって同じことです。彼もまた、何の悪気もなしにただ旅人たちを励ます意味で言ったのだと思います。でもだからこそ怖いんです。僕たちは何の悪気もなしに、神様への越権行為をやってしまいがちだということですから。自戒もこめて、気をつけなくてはならないなと思います。

それではまた明日。

主にありて。
MAROでした。

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横坂剛比古(MARO)

横坂剛比古(MARO)

MARO  1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。  10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。 著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著<a href="https://amzn.to/376F9aC">『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)</a>2022年3月15日発売。

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