8月16日「お前が用意した物は、誰のものになるのか」

愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか。(ルカによる福音書12章20節)

主イエスは「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい」(15節)と言って、次の話をした。ある金持ちの畑が豊作であった。彼は思いめぐらして、大きな倉を建て、穀物をしまい込んだ。そして、「たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ」(19節、口語訳)と自分に言った。原文では、彼は「私の作物」「私の倉」「私の魂」と言っている。彼はすべて自分の力で得たものと思い上がっていた。神はこの金持ちに、今日の聖句を語って、彼の死を予告する。

彼が自分の死に気づくならば、自分は生かされている被造物であることに気づくはずであった神は彼を「愚かな者よ」と言う。彼は地上の生活には抜け目なかったが、自分の死の備えを怠ったからである。彼は神に造られ生かされている者であることに気づかず、自分の力で生きようとして貪欲になり、神の意志を行わず、神を崇(あが)めなかった。このゆえに、終わりの日、神の前で裁かれる時、彼の死は永遠の滅びとなる。主イエスは、「自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ」(21節)と言った。主が貪欲を戒めたのは、貪欲は命を滅ぼすからである。「人の命は財産によってどうすることもできない」(15節)。私たちもこの金持ちと同じように、富を得ようとして貪欲になり、自分の命を損なってしまう愚かな者である。しかし、主イエスは来られて、私たちのために神の前に豊かになる」命の道を開いてくださった。主イエスに罪を赦(ゆる)され、主を信じ、み言葉に聴き従う生活をするならば、私たちは命を得る。

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