『日本におけるキリスト教フェミニスト運動史』合評会 女性運動50年の歴史と対話 男性中心的な神学・教会組織への失望・怒り

新教出版社刊『日本におけるキリスト教フェミニスト運動史 1970年から2022年まで』の合評会が7月29日、同志社大学神学館チャペル(京都市上京区)で開催され、参加した約70人が、50年にわたる運動の歴史を網羅した同書について議論し、今後の課題を探った(同志社大学一神教学際研究センター=CISMOR、基督教イースト・エイジャ・ミッション富坂キリスト教センター共催)。

女性の按手めぐり議論 職制の批判的検討を
「第2弾」への期待も

同書は、1970年から2022年まで、各種発行物やインタビューの記録などをたどり、日本のキリスト教界においてフェミニスト運動がどのように展開されてきたかを分析、検証したもの。その中で見えてくるのは、男性中心的な神学や教会組織への失望と怒り、そこから生じた葛藤や試行錯誤などで、キリスト教界がこれまで見落としてきた事象に光を当てた共同研究書となっている。本文は3部形式で、詳細な年表と解説とコラム記事、それぞれの時代を生きた4人の女性による証言など六つのトピックスによって構成されている。編集・執筆を担った山下明子、山口里子、大嶋果織、堀江有里、水島祥子、工藤万里江、藤原佐和子の各氏は富坂キリスト教センターの研究会のメンバー。

この日の合評会では、CISMORリサーチフェローの朝香知己氏が司会を務め、さまざまな年代、教派、立場にある4人の評者が同書について語った。

■吉谷(よしたに)かおる氏「何度でも立ち上がる」

最初に登壇した日本聖公会信徒の吉谷氏は、2010年から「女性に関する課題の担当者(女性デスク)」を務める。聖公会での女性按手の問題や、続く世代への継承の課題に触れた同氏は、「ジェンダーに起因する差別はなくなっていない。セクシュアリティに関する取り組みは、今後ますます必要になる。少し気を許せば、女たちの息の根を止める力が働く家父長制社会の中で、闘いとってきたものを奪われないようにするために何ができるか、本書から手がかりが得られるのではないか」と語った。

■渡邊さゆり氏「これからも話を続けるために」

マイノリティ宣教センター共同主事の渡邊氏(日本バプテスト同盟駒込平和教会牧師)は、2014年に発足した「フェミニスト 神学を学ぼう・読書会」の呼びかけ人でもある。「本書を通じ、日本にある諸キリスト教団体におけるフェミニスト運動の足跡を知ることができた」と評価する一方、同書に登場するのは、大規模な教派団体の女性たちによる運動であり、自身が所属するような小さなグループは歴史編纂においては抜け落ちていることの寂しさを感じたと吐露。

同書で渡邊氏が重視したのは、女性の按手を通し男性中心的な教会の構造に巻き込まれてしまうという問題。「フェミニスト運動を語る際、女性の按手が闘いの一つの到達点であることは否定しないが、それでいいのか」と、今日の教会が按手にこだわることへの疑義を述べ、「按手は教会のヒエラルキーの中に組み込まれていく方策だと感じた。私たちの信仰実践共同体が、これまで男性中心で作られてきた形に則っていくべきなのか、それともまったく違う、緩やかな温かな柔らかい共同体を作るために違う道を取るべきかを話し合っていけたらいいのではないか」と指摘した。

■金一恵(きむ・いれ)氏「教会の差別から目を背けないために」

在日大韓基督教会京都南部教会所属の金氏は、同性愛者差別事件への抗議行動を目的に組織した「同性愛者差別問題小委員会」で活動してきた。 同書を通じて各教派における女性の権利獲得の道のりの共通点や違いを知ることができたと同時に、他教派のフェミニスト運動から、在日大韓基督教会の運動が持続可能でなかったという反省に立つことができたという。在日という立場から、「時代や法律が変わっても差別はなくならないと感じている」とした上で、「その時に助けることができるか、寄り添うことができるか、一緒に怒ることができるか。キリスト教会における女性の権利がフェミニスト運動によって開拓されてきた事実によって、同性愛者への差別を聖書を使って正当化しようとする教会の矛盾をついていくことが可能だと思う」と述べた。

■申英子(しん・よんじゃ)氏「わたし・他者・神」

日本基督教団西九条ハニル教会牧師の申氏は、同書「キリスト教フェミニスト運動におけるそれぞれの経験」の話し手としても登場する。これまで受けてきた差別を思い起こしながら「弱いものをいじめる者は、誰であれ恐怖と依存がある」と話し、「宿命は変えられないが、運命は変えられる。使命に生きられることは幸い」と力を込めた。さらに、「共感とは美しいハーモニーを奏でることで、お互いに分かり合うことではない。分かり合えない関係であっても、その関係の中で誠実に付き合っていけば神が助けて、美しいハーモニーを響かせてくれる」とし、同書第2弾に期待を寄せた。

研究会の座長を務めた大嶋氏は、「男性中心の歴史を女性から見たらどうなのかに取り組んで、中心を作ると周縁が生まれる。とすれば、中心を絶えずずらしていく営みが今後の課題ではないか」と感想を述べた。

会場からは、「運動した人、研究した人、按手を受けた人が主人公になっている点が残念。フェミニスト運動で主張してきたことが、女性信徒にどう波及していったかについても知りたい」「キリスト教学校が女性たちに与えたことも、今後の研究に取り入れてほしい」などの要望が聞かれた。

また、按手をめぐる議論では、「牧師からハラスメントを受けたとの相談を多く受けるが、それがハラスメントだと教会で気づいてもらえたことはない。牧師は指導する立場にあるから、ハラスメントではないと最後まで覆されない」との事由から、職制そのものが教会である一定の人々のみに権威を与えてきたことを反省的、批判的に捉えることの必要性が語られた。

第3部「日本キリスト教議会(NCC)加盟教会における女性の按手」を担当した藤原佐和子氏は、合評会で按手をめぐるさまざまな問題が盛んに議論されたことに驚きつつ、これまでの研究で按手が十分に取り組まれてこなかったためではないかとコメント。論考で取り上げた日本聖公会の例に見られるように、現行の職制が抱える問題に取り組んでいくにあたっては、按手を受けた女性たちとさまざまな理由で按手を受けていない女性たちの連帯にこそ希望が見出されると述べた。

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