腐っても鯛。歪んでも愛。腐らない鯛は神様の愛。【聖書からよもやま話134】

主の御名をあがめます。

皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。

毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、  イザヤ書の49章です。それではよろしくどうぞ。

◆イザヤ書 49章15節

女が自分の乳飲み子を忘れるだろうか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとえ女たちが忘れても、
このわたしは、あなたを忘れない。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)

自分の子を愛さない親はいません。・・・と、言いたいところですが、時代によっては親と子や、兄弟同士が矢を放ち合う「骨肉の争い」なんてことが起こってしまうこともあります。僕はNHKの大河ドラマをまとめて見るのが趣味なので、今は『平清盛』を時間を見つけてはみているのですが、それをみていると「親と子の関係って難しいな・・・」なんて思わされます。親だから確実に信頼できるとも言い切れませんし、子だから裏切らない、とも言い切れません。平清盛さんのころよりはずっと時代が後になりますが、戦国武将の斎藤道三が息子の斎藤義龍に殺されたのは有名な話です。聖書の中でもダビデ王は息子のアブサロムに裏切られたりしています。

父親だからそんなことをしてしまうんだ!母親ならそんなことしない!と思う方もいらっしゃるかもしれません。確かに歴史上の人物には、母と子の「骨肉の争い」は父と子のそれに比べて少ないかもしれません。しかし、テレビのニュースを見ればまこと残念ながら「母親が子を虐待した」なんて報道を目にすることも時折あります。

親と子の愛は、99%までは信頼に足りるものだと思います。しかし、親子とはいえどちらも人間ですから、その愛は完璧ではありません。どうしても1%の例外が生じてきてしまいます。しかし神様は「たとえ女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない」と宣言しています。親子の愛が99%なら、神の愛は100%だと言っているんです。「あぁ、なんて心強い」と僕は思いました。

「骨肉の争い」をしてしまう親子も、虐待が生じてしまう親子も、それでもやっぱりお互いを愛してはいるんだと思います。ただ、愛が歪んでしまって悲劇が生まれてしまうのでしょう。腐っても鯛。歪んでも愛。鯛は鯛であっても、腐ったのを食べれば体を壊します。愛は愛であっても、歪んだのを受けてしまえば心が傷つきます。そんな風に、人間の愛は人を傷つけてしまうこともあります。しかし、神様の愛は腐らない鯛です。

それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。

【今日の小ネタ】
大相撲初場所で優勝し、大関昇進確実な御嶽海関はフィリピンでクリスマスに生まれました。クリスマス生まれのお祝いとして、出産費用が無料になった上にお祝い金までもらえたのだとか。

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