主の御名をあがめます。
皆様いかがお過ごしでしょうか。MAROです。
今日もクリプレにお越しいただきありがとうございます。
毎回、新旧約聖書全1189章からランダムに選ばれた章を読んで、僕の心に浮かんだ事柄を、ざっくばらんに話してみようという【聖書からよもやま話】、今日は 旧約聖書、 詩篇の52章です。それではよろしくどうぞ。
◆詩篇 52章7〜8節
「見よ 彼こそは
神を力とせず
自分の大きな富に頼り
破滅のわざを勝ち誇る者。」
しかし私は神の家に生い茂るオリーブの木。
私は世々限りなく 神の恵みに拠り頼む。
(『聖書 新改訳2017』新日本聖書刊行会)
「神を力とせず自分の大きな富に頼」っている人は、今の世の中に少なくないと思います。むしろ圧倒的多数派とさえ言えるかもしれません。「自分は大きな富なんてもっていないよ」という人でも、貯金が増えれば安心し、貯金が減れば不安になったりします。お金によって心が安心したり不安になったりするならば、それはやっぱり「神を力とせず自分の富に頼っている人」なんだと言えます。
僕自身もそうです。生々しい話、預金通帳をみて安心したり不安になったりします。コロナ禍がこのまま続いたら今の生活もいずれ危なくなってくるな、なんて、自分が神様に生かされていることを忘れて、預金通帳のお金の増減で判断してしまっていたりします。そんな僕がもし大きなお金を手に入れたとしたら、きっとまさにここに書いてある「神を力とせず自分の大きな富に頼り破滅のわざを勝ち誇る者」そのものになってしまうことでしょう。
聖書は人に、そのような者ではなくオリーブの木のようなものであれと教えています。オリーブの木は常緑樹です。つまり一年中、葉っぱが生い茂っている木です。春夏秋はもちろん、冬だって緑の葉っぱを保つんです。ではオリーブは養分や水の「預金通帳」をもっているのでしょうか。もっていません。ひたすらに毎日、日々の養分を大地から、水分を雨や雪から得ているだけです。つまり毎日、神様の恵みを得続けているだけです。それでオリーブは不安を感じることもなく、生き続けます。そして、時期が来れば実を結びます。それを誇ることもありません。
自分の力を頼りにし、自分を誇ること。これが人生の不安の原因であると聖書は言っているんです。反対に言えば、自分の力を頼りにすることと自分を誇ることをやめれば、心に平和がやってくるぞと、そう言っているんです。
分かってはいても、やっぱりついつい気になる預金通帳。これに心をざわつかせないようにしたいものです。「ざわつかせないようにしよう」と思っても難しいので、「ざわつかないように整えてください」と神様に祈ることにします。そして「オリーブのような者へと変えてください」とも。だって「自力でオリーブの木のようなものに俺はなる!」と志すのもまた、「自分の力に頼る」ということですから。
それではまた明日。
主にありて。
MAROでした。
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MARO 1979年東京生まれ。慶応義塾大学文学部哲学科、バークリー音楽大学CWP卒。 キリスト教会をはじめ、お寺や神社のサポートも行う宗教法人専門の行政書士。2020年7月よりクリスチャンプレスのディレクターに。 10万人以上のフォロワーがいるツイッターアカウント「上馬キリスト教会(@kamiumach)」の運営を行う「まじめ担当」。
著書に『聖書を読んだら哲学がわかった 〜キリスト教で解きあかす西洋哲学超入門〜』(日本実業出版)、『人生に悩んだから聖書に相談してみた』(KADOKAWA)、『キリスト教って、何なんだ?』(ダイヤモンド社)、『世界一ゆるい聖書入門』、『世界一ゆるい聖書教室』(「ふざけ担当」LEONとの共著、講談社)などがある。新著『ふっと心がラクになる 眠れぬ夜の聖書のことば』(大和書房)2022年3月15日発売。