5月2日「イエスが、お叱りになると」

イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。(マルコによる福音書1章25〜26節)

聖書に悪霊の話が出てくると、現代人には関係ないと思ってしまうが、そうではない。聖書は人間の悲惨と混乱の正体を語る。例えば、人間は平和を願っているが、現実は争いと不信が世に満ちている。「平和は赦(ゆる)す心によって実現する」と知っても、現実は赦せない。復讐の連鎖を断ち切れない人間の世界に、人間の力では太刀打ちできない悪の力が働いているのである。悪の力は人間を怒りと憎しみに駆り立て、悲惨と混乱に陥れる。聖書はその悪の力を、悪霊という名で指摘する。そして、この悪魔的な力は、神の意志に従って生きようとする者こそ身をもって知る。

悪霊につかれた人は「かまわないでくれ」と叫ぶ。他者との関わりを拒む。「指図されたくない。自分のしたいことをする」、「人生の意味などない。死んだら終わりだ」と言って、自分の殻に閉じこもる。悪霊は何よりも人間を神に逆らわせる。悪霊につかれた人は、近づいて来る主イエス、自分に関わろうとする主イエスに抵抗する。しかし、主が彼に近づき、「出て行け」と一喝すると、悪霊はその人から出て行き、彼は救われた。

主イエスは人間を神の御手に取り戻すために、悪霊を追い出される。私たちは主イエスによって神に属する者とされる時、悪霊から解放される。そして、悪霊と戦う者となる。「わたしたちの戦いは、血肉(人間)を相手にするものではなく、...悪の諸霊を相手にするものなのです。だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい」(エフェソ6・12〜13)。

 






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